江北町同窓生TOP 卒業名簿 想い出集 投稿室 佐賀弁

投 稿 室

☆ 友達と家族と撮ったスナップ写真、または記念写真など、何でも良いです。「写真を公開しても良い」と言う方は一人一枚ですが掲載します。
  何組・名前と一言コメントを書いて下さい。メールか封書で送り下さい。掲載サイズはこちらで調整します。掲載サイズは下写真通りです
  更新もOK ※但し、掲載日時は私が時間が有る時がその掲載日時です・・・ご了承下さい

自宅にてチョット、ミステリィー的   3−4 津山雄次
●ハムのソファー昇り(BGMはルパン三世のテーマ79 ●ハムの食いしん坊(BGMはロック・アラウンド・ザ・クロック)

●ハムの食べっぷり ●ハムの落下
 ペットです、よろしく 3−3小野澄子
津山君家もハムスターー飼ってたみたいだから、わがやのハムスターもみてください。部屋のクーラーを入れるまでは、グラスに氷をを入れて(午前中)暑さをしのぎます。でもバテバテ・・・いい加減走り回って疲れている状態です。ハムスターはかわいいですね。寿命が2年くらいしかないから、2年ごとに大泣きしていますが、懲りずに飼いつづけています。いつも2匹づつ買うのですが、今回の相棒は2ヶ月で死んでしまいました。息子が、松島菜々子の済ましたときの顔に似てるからって、名前を「菜々子さん」ってつけていたのですが・・・写真のハムちゃんは、名前はモカです。オス飼って7ヶ月目です。

福岡さんのミュージカル孫悟空の感想文
その日は朝から雨で、あげくに小四の娘も行けるか分からない程、体調がすぐれませんでしたので、「雨も降ってるから、車で行こうか」と言うと、「どうしても、モノレールに乗りたい」と言うので、本人の意向の通り、京王線で橋本駅から多摩センターへ、そこからモノレールに乗り換える。多摩センターへ着くと乗換えのモノレール駅を捜す為に雨の中を役20分間ウロチョロ、ウロチョロしてました。通り縋りの女性に尋ねると、「あそこです」と言われ、ガーン、なっなんと目の前にあった建物が駅だったのです。その駅からモノレールに乗り南立川まで、車内では一番前の席に座り前方の景色を見ると遊園地のゼットコースターの様だった。南立川駅で降り、無愛想な運転手のタクシーで公演先のアミューたちかわへと向かいました。1000円渡し「お釣はいらないよ」と言うつもりが本当に無愛想だったのでしっかりとお釣を貰い、「有難うございます」の言葉も止め何でも使える便利な言葉で「どうも」の一言だけでタクシーを降りました。
着くとロビーには、お客さんが並んでいました。行く時に女房から「公演先の近くで花束を買って渡せば喜ぶよ」と言ったのを、思い出し雨の中を捜し出しましたが見当たらず、警備の方に聞くと、ずーと先に有ると言われ諦め、傘を館内添え付けの袋に入れている最中にドタッー、雨で紙袋が濡れ底が抜け、入れていたとデジカメとCDが床に落ちた。アーッ、でも何とか2つとも大丈夫のようだ。「森玲子さんはどの人かなぁ?」と思いながら順序良くホールの席に着きました。開演5分前の合図のブザーが鳴り、やがて開演のブザーが鳴るとざわめいた場内がシーンと静まりました。照明が暗くなると中国の幻想的な音楽が流れ、ミラーボールが回ると館内が一層幻想的になりました。ナレーションで二人の神様の会話の声が響き、舞台には孫悟空らしき者が石の中で暴れている、シーンが影姿で映し出され、やがて石が割れ誕生します、そこからがミュージカルのドラマの始まりです。
御殿のシーンになり、お妃を演じる青年、子供達の歌とズダンスが始まります。そこへ孫悟空が来てニョイ棒を奪い大暴れ、神様を怒らせます、そこで幕が降りる。次のシーンで石に閉じこまれた悟空の前を福岡さん事、三蔵法師が歌いながら歩き立ち熱唱する。(ここでアクシデント、マイクが入っていない・・・でもさすが動じない)何事もないかのように歌い終えると、石の中から悟空声が聞こえます「旅の人、ここから出してくれ」、福岡さんはイヤ三蔵法師は「誰だ・・・・・」と通り一遍の会話があり、暫くして念仏を唱え(ムニャムニャと口が動いています・・・何を言っているかは分かりません?)すると、石が割れ悟空が飛び出します。悟空は今の恩を忘れて「町へ暴れに行く」と言って歩き出すと、又三蔵法師がムニャムニャ、すると舞台の照明が赤色に変わり灯りが強弱になる、悟空は頭を抱え痛がる。悟空が勘弁を被ると三蔵法師がムニャムニャを止め、同時に照明が明るくなる。
横に座っている娘の様子がおかしい、具合が悪そうにしているので、席を立ち場内から出て、ロビーのソファーでポカリスエットを飲み飲み、暫く横になり休んでいました。どうやら緊張と館内の空気で気持ちが悪くなったようだ。その時三蔵法師と悟空が歌っている音楽が聞こえて来ました。気分もなおり席へ戻ると悟空がお供して、三蔵法師の後ろからトコトコと右の舞台の袖へと消え幕が下りる。(幕が下りると言っても、本当にカーテンが下りる事も有るけど、照明を切り、舞台を暗くする事もある・・・この時なにやら、イヤ、始めは分からなかったが、三蔵法師らしき者と悟空らしき者が舞台セットの小道具、大道具を持ってあっちに行ったり、こっちに行ったりウロチョロ、ウロチョロ・・・アッやっぱりそうだ福岡さんはイヤ三蔵法師、いや福岡さん、どっちでも良いけど三蔵法師と悟空と出演者の皆さんでした。手作りの舞台、予算関係上仕方ありません。ディズニーランドとは違います。大変だなーと思いましたが、その手際の良さに感心しました。)
次のシーンは村娘が泣いてます、三蔵法師が訳を聴くと、どうやら今日、猪八戒(豚です)が現れ強引に嫁にされるらしい、そこで悟空が身代わりになる、猪八戒が何も知らずに陽気に歌(ラブミテンダーの替え歌だったかな?)を唄いながら客席の後ろ入口から登場、村娘に話し掛けるが、その内に村娘の正体が悟空とばれるやいなや立ち廻りが始まるが、またここでもアクシデント、豚ちゃんのイヤ、猪八戒の何かが床にポトリ落ちた。自分は娘に話掛けていたので、この時までは何が落ちたか知りませんでした。猪八戒の役の方がセリフをはきはき、立ち廻りしつつ無造作に拾う、結局はニョウイ棒でやられ、お供する破目となる。三蔵法師は脇役だからセリフも悟空より少ない、同時に体力を使うシーンもない、でも、美味しい場面の所はよいしょよいしょでちゃーんと取って有る(後で、分かる)・・・ここで幕が下りる。
このシーンでは、ここ川辺まで、お腹が減り減り、歩き疲れやっとの思いでたどりついたと言う場面です。猪八戒が魚を取ろおと、川に飛び込みます。(川と言っても、ビニールヒモで何十本も重ね川の流れに見せています。そうだね、欽ちゃんの仮装大賞で川に充たせて作られる感じのものる)・・・「あっ、今分かりました。猪八戒に大きな耳があります、そう思えば何気なく見てたから、気が付かなかったが、そうかさっき床に落ちたのは猪八戒の耳だったのか(見直せば、かぶり耳でした)」川で猪八戒が魚を捕まえ取っ組み合い。・・・何処からか、「誰だ、わしの川で暴れ、眠ているのを起こすのは」と怒鳴り声・・・暫くして沙悟浄 (河童)が川の中から登場。喧嘩になるかと思いきや、三蔵法師の話に同感して、川を渡り場面は閉じる。

・・・感想文又あとに続く、今日はこれまで15年9月12日現在、段々と記憶が薄れてきた。


体験談日誌

韓国4泊5日より
 
 2008年5月16日(金)〜20(火)
はじめに
妹の悲しい知らせ

韓国に行った事を面白く可笑しく書きますが、実は妻を含め兄弟は勿論、式を挙げる弟本人達は100%喜べなかったのです。と言うのも15年前に結婚して台湾に住んで居た、3番目の妹が乳癌で1週間前に亡くなったからです。亡くなる何日か前に危篤の知らせを受けて兄弟が台湾に行って4〜5日間看病してました。この間にも危篤が3〜4回有ったそうです。医者から安楽死の選択を妻に訊ねたそうですが答えられる訳は有りません。妹本人も生きようと必死で頑張っているのに・・・でも日に日に痩せこけていくのを見るのがとても苦しかったそうです。妹は10年前に乳癌を宣告され手術をし、一時は良くなったかに思われましたが色々な家庭の出来事のストレスと定期健診も行かなかった事も有り再発に気が付かず亡くなったのです。兄弟が全員帰国した翌日の電話で妹の死を聞きました。妹は弟の結婚式まで死ねない韓国で逢おうと妻と約束し、その日が来るのを待ち遠しくしてたのです。この妹の死があってから機会があれば家族と一緒に行動をする。なるべく家族と過ごす時間を多く持つなど妻と話をしました。
有難う先生
私が韓国へ行く事は経済的に負担なのです。休んだ日取計算で報酬から差し引かれるからです。でも家族と行動をする事が一番大切だと思い同行する事にしました。もう一つ問題が起きたのは、帰国日と下の娘(中三)が通う中学校の期末テストの初日が重なった事です。航空券を私と下の娘はキャンセルをしなければいけない事態になった事です。出発日の2週間前に学校行事で分った事だからどうしようも有りません。娘はガッカリして目に涙を浮かべてました。一番行きたかったのは本人だったからです。妻が可哀そうに思って何とかならないかと親馬鹿ながらも学校に出向き、娘と一緒に初日のテストを後日に受けられないかと頼みに行ったそうです。先生は「今回のテストは重要でないので韓国へ行っても良いです。勉強やテストも大切だけれど中々逢えない親族と逢って親睦を高める事がもっと大切です。心配しないで大丈夫です安心して行って下さい」と話されたそうです。私はそれを聞いて先生が人間には何が一番大切かを言おうとしているのか、その思いが分ったような気がしました。
教会式でのハプニング
教会式結婚でちょっとしたハプニングが有りました。花嫁が入場する時は父親と手を繋いで入場するはずが、父親ではなく弟が手を繋いで入場して来ました。父親の姿も暫く見えませんでした。あとで分った事ですが、花嫁の父親の妹さんが2週間前に亡くなられたそうです。花嫁側では不幸があって気持ちが悲しい思いで結婚式を挙げているのに対して、こちら側(私達)の親族は幸せそうな気分で嬉しそうにして大きな声で笑たりしているという事が気にさわったようでした。と言うのも今回式を挙げる弟は花嫁にだけ台湾に住んでた妹が亡くなった事を告げてましたが、これはこちらの問題だからと言う事で花嫁の家族には話をしなかったようです。あとで父親もこの事を知り理解してくれたそうです。妻が後日、話をしてましたが、「本当なら妹もここに居るはずなのに・・・兄弟の誰か一人でも泣けば多分、私や兄弟も泣いたと思う。誰も絶対泣かないように兄弟で約束をしたから泣かないで我慢できた」と言ってました。妻の両親は他界して居ません。妻は上から2番目の次女ですが妻の話は兄弟、皆聞き入れてくれます。・・・人はうわべではその人が幸せか不幸せか分りません。話をして始めて分ります。・・・
5月16日(金) 出発日
成田空港展望台から
娘の運転で成田空港へ
今回、妻の兄弟で2番目の弟の結婚式の為、韓国へ行って来ました。5月16日の朝7時頃に出発しました。成田空港まで上の娘に運転をさせました。道路はさほど混んでいませんでした。首都高速の入口料金所に有る、公衆トイレで恒例のトイレタイムです。ここで済ましておかないと首都高速を抜けるまでサービスエリアが有りません、公衆トイレと言っても皆がイメージしてる様な建物では有りません。首都高速は高架なので館内階段を1つ降りるとチョとした休息場に自動販売機が設置して有る公衆トイレです。首都高速は結構カーブが多いです。初めてなので心配してましたが、思うほどではなくてホッとしました。いつもの風景で左手に東京タワーを見ながらのドライブです。まだ時間が有るので途中、千葉県内辺りのサービスエリアに寄り「焼き串団子」を食べました。成田へ着いたのは8時30分頃でした。駐車は空港近辺に有る「パーク500」と言うパーキング場です。高速から成田料金所を下りて市街方向へ進み、1つ目のT字路を右折し成田空港道路に入ると最初の左手に見えるパーキング場です。1日500円+マイクロバス送迎800円です。バスの送迎は他店舗の「ニコニコパーキング場」と兼用していました。そちらのお客を途中で乗車させ成田空港まで行きます。安いので前回もココを使用しました。でもこの辺は500円パーキング場が多いです。1000円になると屋根付の駐車場で自社専用のマイクロバス送迎です。
コリアンエアーラインの座席にはテレビが無い
フライト便は10時30分のコリアンエアーラインの飛行機です。何だか落ち着かないので搭乗手続と税関を早めに済ませる事にしました。税関では下の娘がビンの化粧水(液体オーバー)を、機内に持ち込むバックに入れてたのを家族の誰も気付かずにいました。税関で没収され悔しさも有って少し泣き顔でした。免税店でタバコと梅酒などを兄弟分買ったので荷物がまた増えました。そうでなくても娘二人はシャンプーやドライヤーや着替え着などなどで、バックが多くて大変だったのに・・・娘達が小さかった頃よりも今の方が余計荷物が多くなりました。自分の持ち物はデジカメとビデオが入ったバック1つでしたが・・・屋上の展望台の食堂に行き飛行機を眺めながら昼食をとりました。その後、ゲートに向かい時間待ちしてましたが、搭乗まで1時間は有るので私は周囲を探索に行きました。「そうだ、お菓子を持って行こう」と思い買う事にしました。前回は饅頭を持って行きましたが、思ったほど人気が有りませんでした。選んだすえ今回は「雷門おこし」を兄弟家族分買いました。また荷物と出費が増えました・・・搭乗が始ると娘達がファーストクラスを見て「絶対1回はそちら側で乗りたい」と、少し羨ましいそうでした・・・残念な事に私も今の所無いので同じ気持です。機内席に座りガッカリしました。座席にテレビが付いてないどころか自分の座席のオーディオ機器が壊れて聞けませんでした。機内のスクリーンモニターも色あせしているし・・・娘達は「今時、テレビが付いてない飛行機が有るの?」とブーブー怒ってました。座席も中央だったので外の風景も見られず余計ガッカリしていました。前回のノースウエストは窓際席で座席にはテレビが付いていたので映画を見ながら飽きなくて良かったのに・・・機内食もはっきり言って不味かった。頭に来て飲物はビールにしましたが、これも今一美味しくなく残しました。仁川空港には12時過ぎ頃に到着しました
増えていくアパート(日本言うマンション
相変わらずの運転と交通事情
妻の末の弟も仕事で日本に来て居て帰国が偶然にも同じ16日でした。彼は日本に6年間居た事もあります。日本語学校を2年間勉強し卒業後は大学へ通い3年前に韓国へ帰国しました。そのお蔭で日本語は達者ですので会社では通訳としても役立たれています。弟は到着が1時間遅れの全日航機です。仁川空港で末の妹に渡す荷物を持たせる為に弟を待つ事にしました。私達の行く先はソウル市ですが弟はチャングムの撮影現場だった(後で分かりましたが)スゥオン市(水原市)です。妹宅の隣のアパートに住んでいます。私達とは別々のリムジンバスに乗り別れました。ソウル市までは9800ウォン(約1000円)です、日本と比べると交通機関はタクシーでも地下鉄でもバスでもかなりお安いです。ソウル市までは約1時間20分掛かりました。空港で時間をとられ4時30分頃にバスに乗りました。「もしかしたら市内に入ると学生のデモと通勤の時間で大渋滞になるかも分らない」と言われ覚悟の上で乗りましたが、デモは無く思うほどに込んでなく車窓からゆっくりと市内見物が見られて良かったです。でも相変わらず運転はもの凄いです。バスもタクシーも自家用車も総てがカーチェースなみです。この交通事情とドライバーの運転は前回にも話した時と全く同じ状況でした。車の前後左右に少しでも入れ込むスペースが有ればすぐさま入り込んで来ます。車との間もスレスレまで詰め寄せて来ます。発進・停車・ハンドル切替えが、早いので体が揺れる事も有ります。バスはそれ程でもないですが(でも日本と比較するとかなりです)タクシーは凄いです。お客が乗っていても、安全運転を心がけて気を使うような運転には見えません。お構い無しの運転をします。2車線も3車線の如く走ります。
家族4人が一部屋
そんな状況ですがお互いがそうなので、暗雲の中でか・・・結果上手く交通がなされてます。特に市内は車が多いのでそれでないと車が流れず交通が上手く行かないかも知れません・・・・でもぶつかると大事故になりそうで恐いです。(スリルを楽しみたい方には是非タクシーをお勧めします)・・・日本に6年間居た末の弟も1週間は恐くて運転出来なかったそうです。・・・そう言えば何となく陽が沈むのが遅い様な気がしました。夕方の7時頃でも明るく30分過ぎた頃に薄暗く感じる程度でした。バス終点で降りました。ここからタクシーに乗り換えソウル市馬場洞の姉宅に着いた時は夜8時を過ぎてました。着くやいなや夕食を食べ休む暇もなく、妻は美容室の予約とチマチョゴリの合わせ着をする為に衣装店へ出かけました。娘二人もついて行きました。私は姉の夫と妻の上の弟と家でウィスキーを少し飲みながら留守番をしてました。宿泊は姉宅から30メートル先のホテルです。このホテルの一部屋は狭いですが下の娘は狭い方が良いと喜んでいました。家族4人が一部屋で一緒に寝るのは上の娘が小学校以来久し振りです。妻も同じ事を思っていたらしく「小さかった頃、以来久し振りだね」と言ってました。シャワーを浴び寝床についたのは12時頃です・・・1日目の終わりです・・・疲れた・・・明日は2番目の弟の結婚式です。
5月17日(土) 結婚式
姉宅の朝ご飯
一揆に商店街の道路工事

今日は2番目の弟の結婚式です。朝7時に起きシャワーを浴び、9時頃ホテルを出て妻の姉宅へ朝ごはんを食べに行きました。姉宅の朝ご飯はさすが韓国と思うほどのキムチ三昧でした。近頃の韓国の朝ごはんは日本と同じくパン食が増えたと聞きますがまだまだその数は少ないです。食べ終わると妻と娘は美容室へ出かけました。自分はその間テレビを見てました。・・・「アッそうだ」この時に見た洋画「コンスタンティン 主演:キアヌ・リーブス」は韓国では途中から見てましたが(プールで女刑事が溺れてている場面から)ハングル字幕の英語版だったので物語も洋画の題名も分らず見終りました。それが5月25日(日)テレビ朝日(10チャンネル)21時から放送されましたのでそこで分りました。韓国で1週間前早く見たと言う事だね・・・テレビも飽きたので近辺を散歩しに出かけました。散歩中に美容室帰りの娘と出会いホテルへ戻りましたが、まだ時間が有るので今度はデジカメを持ちまた一人で散歩に出かけました。暫く歩きホテルへ戻り、もう一度娘達を誘いましたが、また断られたました。また一人でデジカメを持ち散歩に出かけました。ここへは4年振りです・・・商店街の軒並みの姿は変わりませんが、業種が変わった店も有りました。歩いていると至る所で商店街の道路工事をしてました。「至る所で」と言うより「一揆に道路工事をしてた」と言う表現が正しいかも知れません。多分、工事会社も違うと思いますが、どの箇所の工事場も交通整理をする人が居ません。通行人や車は自分で注意しながら工事場を通り過ぎます。日本では安全の為に交通整理の人が必ず居るのに・・・商店に対しても通行人に対してもお構い無しの道路工事に見えました。歩き疲れホテルへは12時頃に戻りました。
ヨイドスンボクウム教会式場へ
妻はチマチョゴリにあった髪型(ウェーブ)だと思いますが・・・部屋に入ってくるなり娘達から「韓国のおばさんにソックリだ」と笑われていました。多分見慣れないせいかと思います。私と娘はホテルで着替えました。私は着慣れない背広にネクタイは姉の娘が結婚式にと私に選んでくれたものです。姉の娘の婚約者(この二人は来年の3月に式を挙げる予定です。)の車で妻を残し私と娘二人は結婚式場へ向かいました。妻はチマチョゴリに着替える為に衣装専門店に行き、後から姉達と式場に来ます。結婚する家族の兄弟(女だけ)は昔ながらの風習でチマチョゴリ着るのが慣わしだそうです。式場はヨイド市のウエディングホールです。韓国MBCテレビ局が近くに有る場所です。式場に向かう途中でも日本では考えられない光景に出会いました。トラックが4車線通行の道路でパンク交換をしてましたが、運転手は三角板も立てず発炎筒も焚かず非常停止灯も点けずに真横を走り過ぎる車に気にする事も無くもくもくと作業していた事にビックリしました。また初日目のソウルへバスで向かう時でもそうでしたが、おばさんとおじさんが車をぶつけた事故らしく車道の中央で話し合いをしてました。日本では車を道路の端に避けるのに・・・それに道路の中央で話合いはしないでしょう。・・・弟に話すと韓国は証拠を残す為にそのままにして置くそうです。余計、事故に繋がると思いましたが・・・風習が違います。韓国の人は結構アバウトの性格です。気も短いです。個人個人が自己責任を持ちながらも大半の性格は大体で良いよ大丈夫だよ(ケンチャナヨ)です。それでいながら自己主張が強いです。大変悪い癖は通りすがりでぶつかっても「すみません」と誤る人が殆ど居ません謙虚な持主が少ない事です。それと物事に対してはっきりしてます。言葉にもそれが出てるかと感じます。式場に着いたのが12時30分頃です。ビルの名は「ヨイドスンボクウム教会」です。式場はビルの6階です
姉はロビーに居て写ってません(右手は妻)
式前の待合ロビー
エレベーターに乗ると他のお客も私達と同じ、それらしい服装をしていました。6階へ止まると全員がザーと降りロビーへと向いました。ロビーは式を挙げる他の組とで混んでいました。日本と服装への考えが少し違うのは形式ばった正装ばかりではない事です。カジアルな服装やいつものライフスタイルの服装の人もチラホラ見ました。韓国では髪を染めている人は男女とも殆ど見ません。テレビで見るような芸能人は別として、一般市民では10〜12人に一人染めているかの程度です。上の娘は茶髪なので一人目立ってました。私が「お前だけだな茶髪は」と言うと娘は「いいじゃん、目立って分りやすいじゃん」と言ってました。(「じゃん」は横浜弁です)私はバックからカメラとビデオを出しては持ち替えてあちらこちらを撮ってました。暫くして妻がチマチョゴリを来てロビーへ来ました。似合っているのか似合っていないのか分りません・・・チマチョゴリを着た女性も多く居て、確かにそれと馴染んではいましたが・・・妻の4姉妹と弟2人の嫁の計6人は勿論チマチョゴリを着ていました。妻達は式が始まる前にと急いだ様子でスタジオに入り花嫁さんと記念写真を撮ってました。ロビーに戻ると妻は何十年も会って居ない親戚に逢えた事が懐かしくて嬉しそうで言葉も弾んでいるように見えました。
新郎新婦の専属カメラマン
妻の末の妹の子供達(小六、小二の娘)とは4年振りの再会です。始の内は私の娘達に恥しがって言葉もかけらずにいましたが、その内に慣れてきたのか話をしてました。上の娘は覚えたかじりかけの韓国語を片言ながらも喋ってました。私は相変わらずビデオやデジカメ撮りに忙しかったです。式を挙げる弟は専門のビデオカメラと写真を撮るスタッフを専属で連れて来ていました。他組も矢張りそうでした。妻に聞いたところ「1ケ月前に結婚記念写真を撮った時のスタジオの店の人」だと言ってました。そう言えば・・・思い出しました・・・15年前、ロッテワールドに行った時でしたが、野外ステージの椅子で休憩をしてると花嫁花婿のペアの団体が大勢入って来てステージの上で写真を撮ってました。私も妻も意味も分からずその様子を見てました。園内のあちらこちらでも一組一組が想い想いの写真を撮ってました。今思うとあの時も専属のスタッフが一組一組についてた様に思われます。彼らは最後に結婚式を撮りそれらを編集して新郎新婦に渡すというシステムだと思います。結婚した妻の妹達も同じテープを持ってましたので・・・最初は教会式の結婚式です。この日にビデオカメラを持って来たのは私一人でした。多分、スタッフが撮ったビデオテープを後で貰えるので、それで持って来ないかと思います。でも私は自分の思い通りの映像が撮りたいので、それはそれで良かったと思います
上座は私達夫婦です
教会式結婚儀式

ここでの式で日本と少しばかり違ったところは、前列席に新郎新婦の両親が左右に分かれ座っています。最初は新婦の両親の前で新郎は手と膝を床につけて深々と頭を下げて礼をしては立ち、また手と膝を床につけて深々と頭を下げ礼をします。これを2回繰り返します。(韓国風習の挨拶)新婦は立ったまま新郎に合せて礼をします。終ると次は新郎の両親の前に来て叉同じ事をします(妻の両親は他界して居ないので姉夫婦が両親の役目をしました)。式も一通り終ると最後に神父さんの説教が始まります。でもこれが長くて15分位はあったかと思います。周りの人は時々声をだして笑ったりしてましたが、私と娘は意味が分からないので笑えませんでした。ここでは名の有る神父さんだそうですが・・・私は退屈でした。式の様子は日本のイメージとは大違いでした。式は厳かな感じはしませんでした。教会式の室内入口のドアは開けっ放しなのでロビーの待合人の声がガヤガヤと聞こえてきます。来客の中にも携帯をしてる人やお喋りをしてる人、用事が有るのか出たり入ったりしてる人なども居てア然としました。室内の席には親族だけが座ります。友人知人は後の出口ドア辺りで立って居ました。ロビーで待ってる人もいます。・・・といった具合でした。どちらにしてもドアはオープンなので式の様子は見れます。親族だけの記念写真を撮り新郎新婦が退場となり終わります。(確か退場時も入場時も式場のスタッフが手高く花びらを舞上げていました)退場といっても退場する訳ではなくうしろのドアの所まで歩くと一応退場したという事で教会式の儀式は終了です。ドアの所では友人知人達が集り想い想いの写真を撮ってました。
韓国式結婚儀式
次は韓国式の結婚儀式です。私達はその待合室へ移動しました。ここでは新郎新婦の親族が別々で儀式が行なわれます。始めは新郎の親族から行なわれます。暫く待っていると新郎新婦が韓国衣装に着替えて来ました。昔ながらの風習の結婚式です。栗やなつめなどの木の実や、餅、するめ等で彩をした食べ物が部屋の中央の台の上に置かれています。始めは新郎新婦は台を中央にして上手に座り清めの杯を飲み交わし一礼をして終ります。2回目は台を中央にして新郎新婦は下手に座ります。上手には順々で親族が入れ替り座ります。1番目は両親の代わりの姉夫婦です。新郎新婦は姉夫婦に韓国風習の挨拶し杯を注いで上げます。杯を飲み終えると今度はナツメを食べさせて上げます。最後は姉夫婦は栗を両手に持ち前のザルに投げ込みます。「何個入れるかで幸せの数を決めるのかな〜」と勝手に思いました。姉夫婦は新郎新婦に祝福の言葉を掛けると御祝い金を台の上に置いて座を立ちます。2番目は両親の兄弟の伯母です。その後に私達夫婦が座りました。私は日本語で妻は韓国語で祝福の言葉を掛けました。この弟も日本語が少し分ります。最後は弟や妹夫婦がまとめて座り同じ事をしますが、末の弟夫婦は式を挙げる弟より目下なので反対に一礼をして杯を新郎新婦に注いで上げます。儀式は式場の関係者がその都度、方法や順番などを教えてくれます。新郎の親族が終ると次は新婦の親族が行ないます。二人はまた同じ事をします・・・どうでも良いけど御祝い金はロビーの受付と韓国式の儀式とで2回です(キツィー)。これで結婚式の儀式は総て終了です。
バイキングでの私です
披露宴は・・・バイキング?
式が終ると番号が書いて有る食事券を末の弟から渡されました。弟に食事券の事で訊ねると「無関係者が親戚を装い食事するので防ぐ為です」と言うので・・・笑いました。食事はバイキング式でした。適当な空いてるテーブルを見つけ席につきます。もうすっかり慣れたのか末の妹の娘達も私と娘が居るテーブルへ来ました。私はここでも食事をしながらのビデオとデジカメ撮りです。バイキングの食べ物は凄い豪華でした。肉類等は当たり前ですが矢張り韓国です、キムチ類も置いて有りました。珍しく刺身(サーモン)が有ったので喜んで取って来たものの、醤油が見つかりません。仕方なくコチュジャンで食べましたが今一、味が馴染みません。姉の娘の婚約者に「カンジャオプソヨ(醤油が無いよ)」と言うと彼は「寿司コーナーに醤油が有ります」・・・私は「えっ寿司もあるの」とビックリしました。彼に案内され行って見ると醤油と寿司が有りました。寿司は韓国風海苔巻きとマグロとイカの握り寿司と・・・他は忘れました。マグロの握り寿司を醤油で食べましたが・・・醤油の味が甘くて「う〜ん」日本の醤油と何か味が違います。はっきり言って刺身に合いませんでした。せっかくの刺身と寿司が・・・少しガッカリでした。暫くして花嫁花婿が着替えてやって来ました。隣のテーブルへつくと末の弟と来客名簿を見て話をしてました。1時間30分頃まで居たと思います。この時間になると周りに居る来客の人が替わって居るのです。弟の次の組の方の式が終り食べに来たのです。
愛想が良くないウエイトレス
食べてる最中にウエイトレスが来て少し残ってる皿までも無言のまま、サッサッと片付けた事に上の娘はビックリした様子でした。上の娘が言ってましたが「日本なら考えられない。残ってない皿でも失礼します。お下げしてもよろしいでしょうか」と言葉があり、残ってる皿はお客から「下げて下さい」と頼まない限りは下げる事はしないのに・・・それに愛想が悪いと少々不満顔でした。私や娘だけが感じてる訳ではなく妻も同感でした。「日本人と比べると韓国人は一般的に愛想が悪い。お店でも同じ」と言ったあと「でも日本人は愛想は良いが冷たい所がある」とも言ってました(そうかも知れません)。日本の様に「おひらき」と言ったような、けじめの挨拶や締めの手打ちなどは有りません。勿論、宴会などもありません。式終了後にバイキングを食べながらワイワイお喋りして食べて帰ります(勿論、前の他組のお客も居ます)。引き出物のお返しは有りません。その成果、親戚は良いのですが、何故か何となく友人知人達には申し訳なく感じます。お腹も満腹でバイキングを出てロビーに戻り予定表見ると、今日最後に式を挙げる時間が5時30分だと書いて有りました。式は2時間程は掛かるのでバイキングまで入れると終るのは8〜9時頃になります。でも忙しい人はバイキングを食べないで帰ったり、御祝い金だけ受付で渡しそのまま帰る人も居るそうです。ビルの1階に下りるとお土産店なども有りなかなか良かったです。親戚の方を見送り、私達はビルの外へ出ました。新郎新婦はフィリピンへ新婚旅行に明日出発するそうです。駐車場を見ると10〜12個の空缶にそれぞれ長くヒモを付けた2台の車が見えました。新郎に「これに乗るの」と訊ねると「イエ、タクシーで帰ります」と答えました。矢張りそういった車で帰るのは恥しい様です。新郎新婦に別れを告げ私達も帰宅する事にしました。私の娘達は来た時と同じ姉の娘の婚約者の車に乗り帰りました。私は妻と末の弟、2番目の妹とその息子、末の妹の娘2人の計7人は地下鉄で帰る事にしました。妻はチマチョゴリを着たままです。
深夜の東門市場です
地下鉄のクリスタルの壁と扉?
地下鉄の時計は夕方5時過ぎでした。時間的に矢張り混んでました。妻だけがチマチョゴリを着ていましたので私は少し不自然さを感じましたが、周りからは別にそんな事は思われていないようでした。多分、日本で言うと和服姿の女性が居るのと同じ様子だと思います。そう考えると見慣れているのは当たり前で不自然さを感じないでしょう。私達はシルバーシートの辺りを立っての乗車です。シルバーシートは空いてませんでした。お年寄りが乗車して来ると座って居たお年寄りが「どうぞ 私が少し若いですので」と冗談を言って席を立ち譲ってました。「有難うございます お荷物を持ちましょうか」と譲った人の荷物を膝に乗せてました。韓国人は目上に対して心使いや親切さが有ります。韓国ではこの様な状況は良く見られます。以前、妻もバスで座っていた人から「お荷物を持ちましょう」かと言葉を掛けられた事も有ります。これは日本人も大いに見習うべきだと思います(尚、会話は妻の通訳です)。地下鉄には約25分乗車したかと思います。12駅目のソウル市の馬場洞で降りました(駅名は違います)。ホームと電車の間にクリスタルで出来た壁が有り、電車の乗降口辺りもクリスタルの扉で出来てました。妹に「これ何?ホームから下に落ちない為」と訊ねると、自殺する人が多いので危険防止の為でソウル市内の地下鉄には結構有るそうです。駅から10分程歩いたかと思います。上の弟宅に集合する事になっていました。チマチョゴリを衣装店に返却する為に私と妻は途中立ち寄り弟達を先に行かせました。遅れて入ると全員揃っていました。韓国式の結婚式に有った飾り物が、ここに有るので不思議に思い訊ねると「花婿が持ち帰る」との答えでした。それをよく見ると作り物一つ一つ総てが食べ物で細工してあるのにビックリしました。食べるのが勿体ない程でした。
「ホルモン焼専門」で有名な町
ここでまたビールを飲みました。妹達が凄く飲めるのに驚きました。日本で買った「柿の種」をツマミに出したところ「美味しい」と大いにウケて「私には、このお土産はないの」と末の妹に突かれました。そのあと豚足と冷麺とジャージャー麺の出前を頼みましたが、これもまた良く食べる。妹達はパワフルです。久し振りで盛り上がりました。11時頃になりそろそろ帰る事にしました。末の妹と末の弟はスオン市の家隣どうしです。末の妹の車で一緒に来てました。ここからは1時間30分は掛かるそうです。私達は韓国に来たもう一つの目的が買物をする事でした。何だかんだと用事が増え日程的に時間が無くなったのでこれから東門市場(トンデムンシジャン)に行く事にしました・・・が、それも急に妻が言い出したのでビックリしました。どうやら娘達の意見のようです。「昼間は観光客を相手にして売りますが、夜はほとんど韓国人ばかりなので、今の時間が安く買えます」と弟の言葉に娘達はソワソワしてました。タクシーに乗り15分程で着きました。途中、凄く明るい町並を通りました。そこは「ホルモン焼専門」のお店や屋台がズラリと並んでいました。「元祖金家」などの看板があちらこちらに書いてありました。大学生らしい若者やサラリーマンや子供連れの家族などの人だかりで、とても深夜とは思えない程、もの凄く賑っていました。ここは「ホルモン焼専門」で有名な町だそうです。この町並も車では3分程で通り過ぎました。過ぎ去るとまたシーンとした町並みです。深夜なので当たり前ですが・・・暫く行くと先にまた灯りが見えてきました。近づくにつれ人盛りやネオンの明るさが増えてきました。人盛りを少し中程まで行きタクシーが停まりました。どうやら着いた様です。降りると目を疑うばかりの大勢の賑わいでまたもビックリしました。
うしろのオレンジの灯りは屋台です
フロアーは一坪店で区切られ
4列に並んだ屋台がズラリと、どこまでも長い数珠の様に連なっていて、両方の屋台の間の道を人・人・人で混雑してます。そこを所狭しと歩いてる人や買物をしてる人の多さに圧倒されました。とても深夜12時だとは思えません。何人かは観光客に見えましたが、殆どは韓国人です。赤ん坊をおんぶした若い夫婦も居ました。とにかくパワフルに見えました。娘二人は屋台に並んだ安いブランド品の偽物のサイフとデジカメカバーにキーケースを買いました。連なった屋台の終わりに出ると道路の反対側に、ネオンを光々と出した、お店が並んでいるのが見えました。その隣のビルにはスクリーン映像が流れていました。あちらへ渡る地下道が見当たらず、交差点まではかなり先まで歩きます。どうしようかと悩んでいると韓国人の数名が道路を渡っています。6車線道路です。思い出しましたが韓国人の人は信号機まで行かず良く道路を渡ります。今回もそうですが前回と同じく一人が道路の中央で渡れず暫く立っていました。ビートタケシではないですが「皆で渡れば恐くない」の調子で私達も渡りましたが6車線横断それに韓国の交通状況は話した通りです。「さすがに恐かったです」二度もしたくないです。くれぐれも絶対真似はしない様に・・・下の娘は足が痛いと言っていたので、靴屋でサンダルを買う事にしました。ここの店主が片言の日本語でよく冗談をかけて来るので訊ねたところ、ニコニコしながら「妻が日本人です。来週日本に行きます」と話してました。店を出ると少し歩いて隣のビルへ入りました。1・2階のフロアーは女性服売り場でした。男性服は地下のフロアーだけです。3階はランジュエリーで4階はブランド品のバッグ売り場でした。(だったと思う)女性服売り場は若者向けのデザイン服が多く娘二人は喜んでいました。ここのビルの特徴は、フロアーは一坪か二坪程の小さなテナントで幾つも区切られています。お店の殆どは個人オーナーだと思います。ビルは昼間も開店しているので、お店番は交代勤務にして、2〜4人程のグループ経営だと思います。
営業中もお店の中で食事
面白いのは営業中でも売り場の中で食事をしている事です。お客さんが来ると食事を中断して接客をします。終るとまた食べます(当たり前だけど・・・)店番は一人ですので食べに出かけられないのでしょう。日本で以前バラエティ番組で「韓国特集」が有ったのですが、お店まで出前が来てました。確かに中を覘くと食べた後の皿が、お店の端に置いて有りました。翌日、隣のビルの事ですが「食事の為、暫く居ません」と書いたメモが貼って有るお店が有りました。これもまた日本では考えられない事ですが、コーラの缶ジュースを飲みながらお店番をしてる店員も居ました。自由本舗と言うか拘らないと言うか・・・お客さんの方も別に気にしてない様子でした。お国柄の違いですね
・・・ビルの外に出ると広間があります。そこで腰掛けてジュースを飲んで休んでいました。上の娘はもう一つの隣のビルへ「見に行っててくる」と入って行きました。周りを見ると子供連れの家族も何組か居ました。ビルの右横にはステージが有り照明が明るく照らされ音楽もガンガン流れていました。ここで時々ライブやイベントを開催するのだと思います。でも昼間ならいざしらず深夜の1時近くに、この音量は・・・と思いましたが、道路の車の音で消され思ったほど煩く有りませんでした。この近辺は全体が活気づいていて灯りも明るく、とても深夜とは思えませんでした。人数も昼間と劣らず多くて屋台もお店もビルも寝てません。通常に営業してます。真昼間そのものでした。・・・参りました。私は深夜の東京は良くは知りませんが・・・風俗店や酒場やカラオケやゲームセンター等が多く営業していて、それに合ったお客の人盛りは有るでしょうが、普通のお店が営業しているのは今回韓国で経験したのが初めてでした・・・屋台が有るあちら側へ戻る為に地下道を探しました。こちらへ渡る時に恐い思いをしたので、もう二度もしたくないからです。ビルが有るのに信号機が無い時は、地下道が近くに有る筈だと思い周りを探しました・・・有りました。地下道を降りると階段を下りたすぐ横に化粧品店が有りました。日本で買ったのと同じデザインのストッキングが半値で売ってありました。上の娘と妻は喜んで買ってました・・・が(メーカも分らないし、素材が良い悪いも分りません)。地下道の商店街も深夜にも関わらず営業していました。屋台の方へ戻ると、また狭い屋台通りを品定めしながら、途中で屋台でスルメを買い食べながらタクシー乗り場まで歩きました。タクシー代は深夜料金を入れても1000円はしなかったと思います。ホテルに着いたのは午前1時でした。東門市場はこの時間でも活気づいています。あの街はいつ寝るのやら・・・私はシャワーを浴び2時ごろ寝付きました。
5月18日(日) 東門・南門市場へ
馬場洞通り(雨の中を歩きました)
最悪の買物日より
翌日(18日 日曜)は朝から雨です。それも結構な雨量です。今日もう一度、東門市場に行く予定でいるのに・・・どうしょうかと迷ってましたが、娘達の「もう一度、行きたい」との希望で出かける事にしました。姉の娘が傘を持ってホテルへやって来ました。ホテルを10時に出てまた姉宅へ朝ごはんを食べに行きます。別に食費を浮かせる為ではなく行かないと「どうして来なかった」とあとでうるさくなるので仕方が有りません。時には食堂に行き朝ごはんを食べたかったからです。おせっかいと言うべきか?こういったところが日本人とは違う意味での感情が韓国は親族や家族が持ってます。日本人には理解しがたい絆の深いさが見えてきます。朝食はいつもの様にお膳全体が赤色に染まります。朝食を食べ、雨の中を借りた傘をさしながらタクシ乗り場へ歩きました。娘が「近所の靴屋で昨日、気になるサンダルを見た」と言うので、その店へ行く事にしました。店内へ入ると店主がカップラーメンを食べ終わった後だったのか、空のカップが片付ける事なくレジ台へ置いて有りました。時間的に昼前だったので食べる頃でしょうけど・・・、店内で食べていたというのがお国柄かな〜と感じました。上の娘はサンダルを買いました。私はナイキの靴で「デザインがマァマァかな〜」と言うのが有りましたが、日本と値段が同じ様だったので考えた末、買うのを辞めました。店を出るとタクシーを拾い東門市場へ行きました。あいにくの雨で殆どの屋台にホローがかけてあり閉まっていました。昨日の深夜とは大違い、なんだか屋台が淋しく見えました。傘をさしての買物はわずらしいので、昨日と同じビルへ入る事にしました。中は賑やかでしたが気のせいか、何となく昨日ほどではないような気がしました。多分、雨天の為、人数も少ないのだろうと思いました。1・2階の女性服フロアーを見て廻り、娘達は何着か買いました。今度は隣のビルへ入ろうかと外に出ると一段と大雨になってました。最悪の買物日よりです。ビルへ入るとこちらも1・2階は女性服です。矢張り地下は男性服、3階はジュエリー、4階はブランドのバッグ売り場のフロアーです。まさにお互い、ビルのフロアーの売り場が階事すべて同じでした。違うところはこちらのフロアーの方が、テナントのスペースや通路が広くゆったりとしていました。服のデザインも見た目ですが、20代からの大人が着込むようなオシャレなデザインに見えました。
偽物のルイビトンバッグ
上の娘は服を買いましたが下の娘はお店が留守で買えませんでした(先に話した食事の為に留守がこの店です)。4階のブランド品店へニセブランドバックを買う為に上がりました。店先に並んでるバックには目もくれず店員を呼び、上の娘が日本から持って来たルイビトンのカタログ見せ、それと同じバックが有るか店員に訊ねました。店員は「ココには置いてないので待って下さい」とエスカレートの方へ歩きました。20分位待っていると雨で濡れたのか「隣のビルに有りました」と息を切らし話してました。「オルマエヨ(いくらですか)」と妻が聞くと店員は「250000ウォンです」、妻が「カッカチュセヨ(安くして下さい)」、店員は「220000ウォンです」、妻が「じゃあ200000ウォン」、と言うと店員は「雨で濡れて大変でしたので・・・」、妻は「ミアナムニダ(すみません)」と言ってサッとお金を取り出すとサッサッとレジへお金を払いに行きました。店員は「アイゴー・アイゴー(哀号:漢字ではこう書きます・・・韓国人が絶句した時の癖言葉)」と絶句し、渋々お金うを受け取りました。私達が店を出ると店員は「コマスムニダ(有難うございます)」とお礼を言ってました。10000ウォンが約1000円なので5000円も値引きをさせた妻です。私は偽物だから何千円位かなと思ってましたが、安く買ったとはいえ2万円だったのでビックリしました。妻や上の娘は本物はその10倍はするので安いと言ってました。でもまだ学生です、いくらニセ物とは言えブランドを持ちたがるのは良くないと少し揉めました。でも本物は買えないのでニセ物で満足してるから、マァ良いかとも思いましたが、欲しがる癖が出来るといくらニセ物でも何万円単位なので、娘はアルバイトをしてるとはいえ学生にしては出費が大きすぎる・・・それを心配しての事です。ビルを出ると更に一段と大雨です。この天気なので歩いても楽しめないので帰ろうかと迷いましたが、まだお土産を買って無かったので、それを買う為に南門市場(ナンデムンシジャン)へ行く事にしました。この雨の中でのタクシー拾いは大変です。5〜6台が過ぎ去ったあとにやっと空車が停まりました。ここから10分程で着きます。
バイキングレストラン(店名VIPS)
殺風景の南門市場

タクシーを降りると地下街に入りました。ここも閉めてる店が多く人通りも少ないなと思いました。少し歩いたメガネ店で妻は安いながらもシャレた老眼鏡を買ってました。私と娘は店先のサングラスを適当に掛けて見てはで待ってました。地下街を出ると何とも殺風景これが南門市場かと思うほどです。人通りはパラパラのパラです。屋台も商店も殆ど開いてなく閉めてる数が多いのです。こちらはビルさえも閉めてます。なんとも淋しい限りです。先程の地下街と全く同じ光景です。韓国へは何度か来ましたが始めての風景です。この天気のせいかなと思ってましたが、店員さんに聞くと「今日は日曜日なので店は休み」との事でした。それを聞いてガッカリしました。この天気で嫌気をさしていたのにWパンチです。でも日曜日に休むとは、不思議です。休日は観光客もあり、お客が多いのではと思うけれど・・・日本では考えられない様な気がします・・・何軒かチラホラ開いてる店が見えたので適当に店街を歩く事にしました。化粧品店で傘を2本買いました。その1本は大きいジャンボ傘です。値段は500円です。これは日本では見かけた事がないので、韓国で買うつもりはいました。この店で娘は化粧水を買いました。矢張りこの雨のせいか買物もつまらなくなりました。仕方なく帰る事にして、お土産は明日買う事にしました。タクシー乗り場まで歩いていると、韓国人気アイドルグループ(名は忘れましたが日本では知名度がある様で娘二人は知ってました)のプロマイドが店先に飾ってありました。
朝鮮人参羊羹は美味しい
上の娘が友達がファンなのでこれをお土産に買いたいと言うので私達は店内へ入りました。俗に有る装飾品民芸店の土産店です。20分くらい居たかと思います。娘達や妻はそれぞれ買ってましたが、私は買う気は有りませんまでした。何となくと仕方なくで150円と200円の民芸品を2個買いました。店を出ると今度は向い側の朝鮮人参専門店へ入りました。店員さんの呼込みにつられたのも有りますが、妻が朝鮮人参を買う目的もあって店内へ入りました。さすが朝鮮人参店です。その匂いがツーンときます。私達は匂い慣れしているのでさほど気にはなりませんでしたが・・・ここで私は朝鮮人参羊羹を7箱(6箱で1箱はオマケ・・・1箱1000円です)と朝鮮人参チョコレート1箱(1000円)とひまわりチョレート1箱(1000円)を買いました。妻は朝鮮人参茶を何箱?とその他を買い、上の娘は何かを買ってましたが忘れました。下の娘は朝鮮人参チョコレート1箱とひまわりチョレート1箱を買ってました。とにかくここでは結構買いました。サービスに何かを貰いましたがこれも何か忘れました。(もしかしたらロッテのチョコパイだっかな?・・・パイと言ってもうるち米です)今日はこの雨で客入りも悪いと思うので店としては私達が来て喜んだと思います・・・多分。また地下街に入り反対側の大通りに出てタクシーを拾い帰りました。ホテルまでは10分ほどでした。料金は約600円です。ホテルに戻りくつろいでいると暫くして姉の娘が呼びに来ました。これから夕食を食べにバイキング店(店名はVIPS)へ行くと言うのです。私と娘二人は姉の婚約者の車に乗りました。

バイキングレストラン(店名VIPS)で乾杯
ここでも醤油が見当たらず
彼の車にもカーナビが付いていました。韓国ではカーナビの事をナビゲーションと呼びます。この車もそうでしたが、タクシーなど殆どの車についていたカーナビはTVワンセグでセパレーツ式のあと付タイプでした。電源はシガーライタからとります。地図ソフトはSDカードです。値段は25000円だそうです・・・安い、買いたいと思いましたが字幕や音声がハングルなので諦めました。(カーナビに詳しい人、何か良い方法がないかな?)妻は姉夫婦と息子と4人で後からタクシーで来ます。レストランは中々シャレた雰囲気の感じでした。日本のレストランに似てると言えばスカイラークを少し上品にした不陰気かな・・・一人2800円だそうです。サービスにとウエイトレスがシャンペンと骨付きステーキと何故かふかしたサツマイモを持ってきました。シャンペンは美味しかったです。バイキングの食べ物は日本にもよく見られる有触れたメニューだったので、少々期待はずれでした。韓国風のバイキングをイメージしていたのですが・・・食べ物が置かれた中にサーモンの刺身があったので、これを皿にのせ醤油を探しましたが、結婚式場のバイキングと同様に、ここでも醤油が見当たらず店員に訊ねると「オプソヨ(無いです)」と返事されガッカリしました。テーブルに戻り「無いようだ」と話すと暫くして婚約者の彼が醤油を持って来ました。調理場に行って貰って来たとの事でした。韓国では醤油は家庭でも店でも一般的にテーブルに置いてない様です。調味料として使用されるだけで、日本の様にソースやマヨネーズと同様に直接使う事はないようです。日本では洋風バイキングは一般的ですが、韓国ではそんなに広まってないようでまだ珍しいようです。それだから私達を招待したのだと妻が言いました。その気持ちが有り難く感じました。姉の息子がニコンの一眼レフカメラ(日本のメーカー)を持って来てました。写真を撮ってましたが、買ったばかりで初めて使うそうです。カメラやパソコン、カーナビの話で盛り上がりました。姉を見ると話に入れず退屈そうにあくびをしながらパクパク食べてました。1時間30ほど食べて帰りました。帰りも行きと同じく婚約者の車に乗りました。今日の泊まりはホテルではなくサウナです。

姉宅の近辺(下町と向うはアパートです)
期待はずれのサウナ
以前にサウナで1泊過ごした事の様子を話しましたが、今回も同じチェーン店のサウナです。ココは1年前に開店したばかりだそうです。姉宅で着替着を詰めて徒歩で10分だと言うので歩いて行く事にしてましたが、姉夫婦が心配性でか「道に迷うから」と婚約者にお願いして彼の車に乗って行きました。サウナの外観は何だか見てもパッとしません。少し不安げに店内に入ると矢張りここもパッとしません。フロアーで待ち合せの時間を決めて、妻達と別れ私は一人で男湯へ入りました。ロッカールームで服を脱ぎ裸になったものの、湯室の場所が分らず危うく男女兼用の休息所に行く所でした(危なかった共に少々恥しかった)。湯室は「えっこれが新しいサウナ」と思うほど綺麗に見えませんでした。これなら前回のサウナの方がよほど良かった。全体的に内装や灯りのイメージが暗いし・・・不満でした。つまらなそうに湯舟に浸かり周りを見てました。暫くして親子連れが入って来ました。5〜6才位かなと思いますが、その子が立ったまま小便をしたのです。親はそれを注意もせず平気な顔でいました。子供の躾けもそうですが親の躾けも必要です・・・プンプンプン。韓国はこんな事からもマナーの悪さが見えます。一部の人だけはと思いますが・・・。マナーの悪さは前回も話しましたが未だに同じでした。日本なら私の知る限りではまず考えられません・・・。でも今の若い親はどうかな?・・・。湯室には赤擦りのコーナーが設けて有りました。見るからに、いかつくガッチリした体の店員が「垢すり如何ですか?」と訊ねました。私は「テッソヨ(いいです)」と断りました。店員は「イエー(はい)」と言うと石鹸を使いタイルや鏡などを、ゴシゴシと力任せで掃除を始ました。私は内心「女性だったら分らないけど、こんな太っとい手で擦られたら垢だけではなく、皮まで擦られるんじゃないの」と思いながら、店員の掃除の様子を見てました。私が先に休息所へ行きました。周りを見ると矢張りあちらこちらに寝てました。前回と同様に見た通りの光景でした。私も慣れて置いてある枕を取り適当な場所で横になり待ってました。

韓国人の優しさ
カウンターではお客が腰掛けてドリンクを飲んでいました。一人の50〜60歳位のお客が注文したばかりのジュースをこぼしました。「アイグ アイグ」とため息つきながら手に持ったタオルで拭いてました。隣に腰掛けていた見た目に恐顔のお客がイスから降りると何処からかタオルを2〜3枚持って来ては一緒に床やイスやテーブルを拭いてました。こぼしたお客は申し訳なさそうでしたが「ケンチャナヨ、ケンチャナヨ(大丈夫)」と恐顔のお客は答え拭いてました。二人は黙々と床や椅子やテーブルを拭いてました。恐顔のお客は拭き終えるとタオルを持って無言で去って行きました。こぼしたお客は「コマスムニダ(有難うございます)」と声を出すと少し離れた所から「イエー」と言う声が聞えて来ました。あのお客は顔に似合わず良い人だったんだ・・・と共にもし日本人だったらこぼしたお客が拭いてるのを見ながらも、黙って見てるかせいぜい拭いてる邪魔にならない様に、座っている椅子をずらすかでしょうね・・・。この状況にもカウンターの店員おばさんは、黙って見てるだけで手伝いもしません。(もしこれが日本だったらカウンターから出て店員が拭いてあげると思うけど・・・先程のもし日本人だったらの訂正ですが・・・店員さんが来て拭いてあげるので「黙って見ている」必然的にそうなるのかも知れませんね・・・)でも店員おばさんはジュースをもう一度差し上げていました。こぼしたお客は断っていましたが、やや強引に差し上げていたので、また申し訳なさそうに早飲みして「コマッスムニダ(有難うございます)」と言うとイスから降り去って行きました。「イエー(はいー)」と店員おばさんは答えていました。愛想悪く見えましたが・・・この人も良いおばさんかも・・・暫くして妻達が来ました。矢張り前回のサウナより良くないと娘達も話てました。「前のサウナよりこちらのサウナが新しい」と妻は言うのですが・・・何か納得いきません。でもこちらは今流行の岩盤サウナに釜サウナ、ロシア風サウナ、何故か冷却サウナなど他種多く有るのは確かでした。それに色々なコーナーもこちらが少し多い様な気がしました。こちらの方が美容を考えると女性には人気あるサウナかも知れないと思いました。日帰りならこちらのサウナが良いと思いますが、1泊となると前回の様なベッドの安眠室がないので、適当な場所での雑魚寝ですので少しキツイです。
5月19日(月) スオン市(水原)へ
末の妹宅(私の娘2人です)
ツ・ヤ・マ(ハングル文字で)と書いて
朝7時に起きてもう一度、朝風呂に入りフロントに出たのが8時頃でした。私が先に出て待ってましたが中々出て来ないので、「もしかしたら、休息所の間違いかな・・・」と思い待ち合せの場所を勘違いしたかと心配になってきました。フロントの受付は昨日のおじさんに代わりおばさんでした。呼び出しをお願いしようかと迷いながら待っていました。20分近くなっても出て来ません。黙って待っていると受付おばさんが「飴、食べますか」と飴を差し出しました。「有難うございます。」と答え、これをきっかけに「私は日本人です。アナウンサーして下さい」と言いながらメモとボールペンを借りました。ツ・ヤ・マ(ハングル文字で)と一字一字書き、おばさんに一字一字その都度読ませました。「ツ・ヤ・マですか」と分ってくれたので私は「アラスムニダ(そうです) アナウンサー・チュセヨ」とお願いしました。おばさんは「日本の津山氏がフロントで待ってます」と放送してくれました。内心ホッとしました。韓国の人は他人でもよく話しかけ食べ物を上げたりします。私が無言で待っていたので、気になってたのでしょう・・・多分。放送直後に妻達が出て来たので、放送を聞いて出て来たのかと思っていましたが、出ようとした最中に放送された様でした。妻に放送のいきさつを話して、おばさんにお礼を言うと外に出ました。今日は月曜日、時刻は8時過ぎです。姉の宅まで歩いて帰りましたが、矢張りすれ違うのは通勤する会社員が多かったです。チョット問題が起きて末の妹が住むスオン市に妻が用事で行かなければならなくなりました。妻だけがそこへ行き用事を済ませ、またソウルへ戻るか?それとも皆で行くか迷いました。末の妹が「皆で来て泊まって、子供達も待っているよ」とうるさく言うので、スオン市へ行く事にしました。でも姉は皆が行く事に反対しました。後から聞いた話ですが帰る日まで私達と話をしたかった様でした。
末の妹宅(妹から借りたミドリのおばさん制服)
プロパンガスの匂うタクシー
姉宅で荷物を整理してタクシーを呼びました。暫くして来たのは個人タクシーでした。電話でこちらの荷物の事情を伝えたにも関わらず、来たのはワゴンタイプの車ではありませんでした。どう見てもトランクにこれだけの荷物が入る訳がない「駄目だ」と話しましたが、運転手は必死で無理やりバッグをギュウギュウとトランクに詰め込んでいました。それを見てバッグが壊れるんじゃないかと思いました。壊れたらどう責任するつもりなのか・・・。韓国人はお国柄か大体が強引で荒っぽいです。自分の物はどうれあれ人の物までも気にしません・・・。お客相手の仕事までが、こうですから・・・。韓国に来れば分ります。結構、頭にくることが多いです。精神安定剤を持参して来た方が良いかも・・・。タクシーに乗り込むプロパンガスの臭いが何となくします。矢張り気になり運転手に訊ねると「車内にワックスを掛けた匂いです」との返事でした。でもそれと違うのではないかなと心配になりました。高速道路を暫く走行してましたが、矢張り気になったのか停車し降りてトランクを調べてる様子でした。戻ると問題は無いですと言ってましたが、相変わらず臭いはします。悪い空想が頭に浮かんで来ます。走行中にプロパンガスが爆発して大惨事にならないだろうか・・・。「どうか私達が降りるまでは何もない様に」と願ってました。「降りた後はどうなっても良いけど・・・」と思いつつ心配しながらの乗車です。
タクシーは最悪の車と運転手
タクシーは高速道路では平均時速120kで車間距離も充分とりません。バッグの事やプロパンの臭いの事も有って「馬鹿か」と口から出そうでした。ソウル市からスオン市までは約1時間30分程でした。目的に着くと料金は39200ウォンでした。妻が「40000万ウォン上げるよ」と言うので「良いよ」と私は答えました。暫くして運転手が車から降りて「10000ウォン足りません」と言うので妻は不足の10000ウォン渡していました。後で妻は「変だな確かに40000ウォン渡した筈だけど・・・、どうして途中で停車して後から足らないと言うんだろう・・・」と怪しんでいました。私はタクシーが走ったのは知らなかったのです。妻の話を聞いて確かに変だ通常なら受け取った料金を確認してから発車するだろう・・・。仮に運転手が料金を勘違いして発車し途中で気が付いたとしても、それは自己の責任でわざわざ停車して催促はしないだろう・・・。そうするとお客さんから疑われるしトラブルの原因となり問題になるだろうから・・・。思うには会社組織のタクシーではトラブルになると会社に迷惑となり、そういった事は避けるだろう。個人タクシだから出来たのではと・・・。いつもならここで妻とタクシーは大喧嘩をしてますが、何故だかその時は直でした・・・本人も同じ事を言ってました・・・。タクシーは最悪の車と運転手でした。
スオン市の華城(チャングムのロケ地)
男勝りの末の妹
妹宅はアパートの3階住まいです(日本で言うとマンション)。部屋にはルームトレーニングマシンが置いて有りました。今は使用していないようです。娘達がチマチョゴリを来て写真を撮りたいと言うので、妹が2着出してきました。娘二人はそれを交互に着て写真を撮りました。ピンク色のチマチョゴリは長女が似合い、緑色は次女に似合うと思いました。妻も同感の様でした。そのあと児童登校時の交通整理の帽子と制服を出して来ました。(韓国風ミドリのおばさん)。妻はそれを着て写真を撮りました。娘達にその格好が大いにウケて大笑いでした。着た本人も大笑いしてました。軽い昼食をとりました。妹の味付けは日本で言う激辛ですので、キムチやチゲは水無しでは食べれませんでした。妹の下の娘(小2)が学校から帰って来ました。私達を見ると大喜びでした。でも今から塾です、友達が迎えに来ました。私達は妻の用事とその近くの市場で買物です。出かけようと玄関に出ると、妹の娘が戻って来て「友達のカバンがふざけて飛んでアパート1階玄関屋根に引っ掛けた」と言いました。妹は「エイシィッ(日本で言うエークソに少し似てる癖言葉)」と発すると、その子に怒りながら塀をよじ登っろうとしてましたが、無理だったのか諦めてました。妹は男みたいな性格です。因みにテコンドは初段です。(韓国は他人の子供でも注意して怒ります。(我々同窓生の懐かしい当時の日本だね)その子の親は留守だったので仕方なくカバンなしで熟へ行く事になりました。市場行きのバス亭までは家から5分程です。バスを待ってるいるとタクシーが来ました。妹は停止させると運転手と話をしてました。やがてタクシーに乗車する事になりましたが、普通車のタクシーに大人5人が乗るのは交通違反になり駄目じゃないかと思い心配していると「ケンチャナヨ (大丈夫)」と妹は言います。途中、狭い道でパトカーと出合いましたがお互い何も気にする事無くすれ違いました。タクシーの運転手は平然とした顔でした(ココでもお国柄の違いがでてます)。暫く走ると妹が書類を忘れた事に気が付き仕方なく家へ戻る事になりました。降りる際に運転手が「矢張り車が重い」と言うので今度はバスで行く事にしました。
怪しげな戦争犠牲者
バス停の前の肉屋の店員が私達が叉ココに居るので不思議がっていました。バスで市場までは15分程で着きました。バスを降り歩いていると戦時中の音楽を流し空き缶を片手に持ち、板にうつ伏せに乗り、道路に這いつくばった格好で人通りをゆっくりと掻き分けて進むおじさんが一人居ました。腰の辺りから足先までゴム製のだぶついた袋を両足すっぽりとかぶせていました。板には車輪を付けて有り電動で動きます。それを片手で操作してました。次女が「可哀想だね」と言ってましたが、私は不信感を持って別にそうは思いませんでした。だぶついたゴム袋が不自然で両足を隠してる事や板に電動を付けてる事が怪しく見えたからです。働かないで楽してお金を稼ごうとしてる様に見えたのです。日本でも当時はよく見かけました。戦争の犠牲者を装い通行人からお金を貰う人たちです。ニュースでは何度かインチキがばれて摘発される者もいました。今では見かけない光景です。彼は朝鮮戦争時代に両足を失くした犠牲者を演じているのでしょう。通る人の殆どは無視していました。一人が缶にお金を入れましたが、その男は礼を言うでもなく、頭さえも下げる事無く無言で進んでました。妻の用事は銀行でした。銀行のウインドの大きいポスターは、日本の富士山が背景に新幹線が走っている風景写真でした(見た感じでは静岡県の東海道本線から撮った様です)。「こんな所で見るとは・・・富士山に対して何か誇らしげを感じました。深い意味は無いですが日本人で良かったと・・・」。私は一人、外で待っていました。信号機を見てると歩行者の信号機のマークは立っている男の影でした。でも歩行者の横断が終わりに近づくと10の数字に変わり、カウントダウンを始めました。台湾では「アニメになっていて歩行者の横断が終わりに近づくとかけ足に変わる」と妻が話してました。日本も、もう少し工夫した方が良いね・・・。用事が済むと、近くの市場まで歩きました。妹が私の娘達の洋服を買って上げると誘いました。
地元高校生の民俗団との記念写真
華城はチャングムのロケ地
地方の市場ですがソウルの東門・南門市場に負けないほどの広さでした。お天気にも恵まれたお陰で人通りも多く混雑してました。妻は娘達の洋服買いに付き合わされていました。私は一人でビデオを持ち歩るき、あちらこちらを撮ってました。交差点の真ん中に、立ちはだかる様に大きな建物がありました。門の入口は四方に設けられていました。つい最近ニュースで流れていた。ソウル南門市場の近くで火事になった南門に似た建物です。多分、思うには戦国期武将時代の当時の見張り門だと思います。買物を終えてまだ少し時間が有るので、近辺の観光地を少し見て歩く事にしました。中庭が広く武家屋敷造りの様な建物が見えました。「華城」と道壁に書いて有りました。(因みに世界遺産です。)その門の前には民族衣装を着た集団が、長いラッパやドラなどを叩いて何度も練習をしてました。周りには何十人もの関係者が取り巻いて居ました。集団は少しも休む間もなく本番となったのか、掛け声と共に門を前にして左右に分かれ整列をし、合図と共に楽器を鳴り響かせていました。暫くすると道路の向うから一行がこちらへやって来ました。妹に訊ねると「キョンギドウとアメリカの州(名は忘れました)と姉妹州でその知事の偉い人達」だと言ってました。キョンギドウ知事とは日本で言うと関東地区の地区知事です。一行は門の前の広場で立ち止まりました。関係者は外人に建物の説明をしてましたが、暫くして一行は建物の中に入って行きました。民族衣装を着た集団は楽器を止め休息を始めました。妹の話だと集団は近くの高校生だそうです。私達は彼ら学生達と記念写真を撮りました。門の壁に目をやると「チャングム」のポスターが貼って有りました(あのポーズ)。ここは「チャングム」のお城の撮影現場のロケ地だそうです。中に入ろうかと思いましたが時間的に余裕が無いので、次回来た時にと諦めました。私は「チャングム」の番組が好きで毎週見ていた隠れチャングムファンです。ネットの「チャングム」TVの会員にも入ってました・・・無料だから・・・。でもそのサイトは無くなり今は有りません(残念)。アドレスhttp://inoues.net/korea/suigen_kajyo.html
喧嘩しながら売買
帰り途中また洋服店に妻達は入りました。私は外で結構長い間待ってました。店先の横で70〜80歳代と見られる小さいおばあちゃんがシートを敷いて小豆を売ってました。そこへ中年肥りした50歳代のおばさんが来て小豆を買ってましたが、何をトラブッたのか険しい様子で二人とも大きな声で怒鳴りあってました。私は言葉が分らないのでその揉め事の内容が分りませんでした。でも通る人は別に気にする事無く見慣れた感じで平然と歩いてました。暫く様子を見てるとおばさんは代金を払い小豆を手に持ちました。おばあちゃんはそのおばさんに道を尋ねてる様子でした。その内、二人とも何もなかった様な顔して別れて行きました。(私もお陰様で何度か目にして見慣れているで喧嘩とまでは思ってもいませんでした。)韓国はB型が多く(血液は関係ないか?)気が短く気性が荒いので(何回もしつこく言うようだけど)、こう言った光景は良く見かけます。妻の兄弟も興奮すると一見喧嘩してる様に見えます。でも同じ韓国人でもソウル生れの人はおとなしい人が多いです。今回弟と結婚した嫁さんはソウル生れなので兄弟のこう言った光景を見てビビッテ居たそうです。バス亭までの帰り道にまた市場へ寄りました。先程の洋服店の市場とは小川を挟んで左右に分かれてます。こちらの市場は主に食べ物店が多く並んでいます。多種満載のキムチは勿論、ケジャンにチジミ、唐辛子等などです。2列で歩くと道幅一杯になる程に狭い通りでしたが活気溢れてました。ここで私達は買物をしました。店先には盛り上ってキムチが幾種類も並べて売ってました。妹は何も言わず勝手に何種かのキムチを手に取り味見してました。この光景も当時、お隣大町で見た時代を思い出させる光景でした。狭い通りを歩いていると、またあの戦時中の犠牲者を装った男が、板にうつ伏せになり地面を這いつくばった様な格好で、人ごみの向うからゆっくりとこちらへ進んで来るのが、見えました。「こんな狭い通りを、良く通るなチョット非常識ではないの」と思いました。バス亭に着いて何分か待ってましたが、私達が乗車するバスが中々来ないので、タクシーで帰る事に決め、また市場の方へ戻りました。
高級焼肉店
韓国ではスイカに塩は掛けない?

呼んだのは個人タクシーでワゴンタイプの大型車です。車は市場通りとは違いますが「えっ、こんな狭い道を通るの」と思う道を平然と韓国流の荒っぽい運転で通り抜けます。運転が上手いのかセッカチなのか、それとも周りを気にしないのか分りません・・・。タクシー料金はバス代5人とほぼ同じでした。タクシーを降りると妹が店に入りケーキを買って来ました。「姉の誕生日」だと言うのです。そうでした実は妻が生れた日は5月です。父親が2ヶ月遅れて役所に届けを出したので戸籍で7月になっていますが・・・。アパートに着くと妹が隣の貸しアパートの2階の窓に向かって、弟の妻を呼び出しています。隣だとは聞いていましたがまさか塀一つで区切っただけの隣とは思いませんでした。塀の高さは1,5メートル位は有るかと見えました。妹夫婦は弟の家に行く時、道路から行くとなるとかなり遠廻りになるので面倒な時は塀をよじ越えて行くそうです。まだ夫婦とも30代だから出来るのかも・・・。まだカバンが1階玄関の屋根にそのまま引っ掛かって有りました。私達は部屋でくつろいで居ると、妹が外から帰って来ました。棒でカバンを落とし、その子の家へ持って行ったとの事でした。上の娘が帰って来ました。塾からの帰宅です。暫くして下の娘も塾から帰って来ました。二人ともこれからまた違う塾に行くそうです。今の時間は5時頃です。終るのは上の娘は10時頃で下の娘は8時頃だそうです。韓国は日本と比べるとかなりの教育社会です。(当時の日本です。今の日本は見習うべきだね)でも私達が居るので中々行きたがりません。妹も始は怒ってましたが、諦めたのか塾の先生へ電話で断っていました。今日だけは特別だと考え許したのでしょう・・・。スイカをだされ食べましたが、今の季節にしては甘くて美味しかったです。値段は700円だと言ってましたが、この大きさで考えるとかなり安いです。その1週間前に日本で食べましたが美味しくなく小さくて1000円もしました。私が塩を頼むと「ムォ?(何で)」と疑問顔をしながら持って来ました。塩を掛け食べてると覗き込んだ顔して見てました。妻が「美味しくなる」と説明すると妹は真似して食べました。妹が「美味しい」と言って食べると妹の娘達も真似して食べて「マシッソ(美味しい)」と言ってました。韓国ではスイカに塩をかけて食べる習慣がないのかも知れません。
イメージダウンした高級焼肉店
末の弟夫婦が入って来ました。弟は仕事を早めに切り上げて来たそうです。ノートパソコンを持参して仕事の残りをここでしてました。ささいながらも妻の誕生日会をしました。ケーキにローソクを立て火を灯し「ハッピ・バースディ・トユー」を歌います。これは韓国でも英語なので娘達も歌えました。私は相変わらずのビデオ撮りです。ケーキは美味しかったです。話は変わりますが27〜8年前に会社員時に、社員旅行でグァムへ行きましたが、そこで食べたケーキは頭が痛くなるほど甘過ぎて食べれませんでした。現地の人はかなりの甘党なのか分りませんが・・・。その後、妻だけワカメスープを飲んでました。韓国は誕生日にはワカメを食べる習慣が有るそうです。時間が7時頃になるとお腹も空きます。焼肉を食べに出かける事にしました。前回、食べた時と同じ焼肉店です。前回時は台湾で亡くなった妹とその息子2人と、3番目の妹と息子2人、末の妹夫婦と娘2人、2番目の弟(今回結婚した)と、私達家族4人の計15人でした。今回、同行した末の弟は日本の大学で勉強の為、居ませんでした。妹の夫は仕事を終え後から駆けつけて来ました。彼は建材関係の社長です。妹はこれでも社長夫人です。男勝りの妹は兄弟の話は聞かない頑固者です。ここでも仕切ってましたが、妻や私には頭が上がらず直で細かい神経を良く使います。私は食べながらでも飽きない事にビデオとデジカメ撮りです。ケジャン(カニキムチ)を食べましたが味はマァマァでした・・・でも甘すぎます。肉は高級のようでしたが、私には甘味でした。思い過ごしか全体的に前回より美味しく感じませんでした。妻も同じ事を言ってました。時間的な事もあるかは知りませんが、前回は客も満員でしたが今回は私達だけでした。今回は汚れが綺麗に落ちてない器が有り、妹が怒って何度か取り替えさせていました。何だか前回に比べイメージダウンしました。すぐ目の前にはドームが有ります(サッカーの2002年ワールドカップの舞台)。ここは外国人や観光客が沢山訪れます。それで店が怠慢になり味や質が落ちたのか?それとも料理長が変わったのかと思いました。これでは高級店の看板が泣きます・・・とにかく今回はガッカリしました。その辺の焼肉店で食べた方が余程美味しかったかも知れません・・・
心痛を深々と感じさせられました
帰宅途中、弟宅へ寄りました。ここでまた私達はビールを飲みました。妹夫婦は揃って大酒飲みです。何杯も飲んでました。ここでも柿の種がツマミとして大活躍しました。弟の妻がスイカを切って来ました。弟にスオンの食費の事で訊ねると「こちらスオンの方がソウルよりも食べ物は安い」との事でした。そう言えばソウルの南門市場よりこちらの水原市場が安い様に思われました。こちらの市場はお客さんが地元住民なのでそれで安いのかと思います。妻や兄弟が危篤を聞かされ台湾に行った時に、弟が撮った妹の入院姿の映像を見ましたが言葉も出ません。妻や兄弟の心痛を深々と感じさせられました・・・。弟は装飾品をネットで販売してましたが、就職をして販売を辞めたので、残ってる品を妻や娘達に上げていました。でも妹はそれには無関心でした。私の娘と妹の娘は風呂に入ると早めに帰宅しました。私達は10時過ぎ頃帰宅しました。いつもなら妹の下の娘は8〜9時には寝床につくそうですが、私の娘達と「一緒に寝たい」と言ってかなり頑張って起きていたそうです。妹の娘二人とも私の娘二人の用事が終るまでずーとそばで待ってました。私達は荷物の整理をして寝ついたのは12時近くです。明日は日本へ帰国です。

5月20日(火) 日本へ帰国日
長女の後ろに見えるのが2002ワールドカップのサッカー場
韓国の親族思い
5月20日(火)朝、5時に起きて眠いながらも朝食を取りました。まとめた荷物を手に取り玄関で靴を履いていると妹の娘二人が起きて来ました。二人とも眠たそうな顔です。下の娘は目をこすりながら見送りしてました。私達は二人に「また来るね」と別れを告げ表へ出ました。妹の夫は先に出て車を家に着け待っていました。私達が出るとバッグを持ってくれました。空港行きのバス発着所まで送るというのです。アパートからは10分程で着きました。そこには数名の人が待ってました。彼は車を停めるとキップ売り場へ入って行きました。この時は妻のキップ購入際を心配をしてかと思いましたが、彼はキップ代を支払う為に入ったそうです。でもサイフを忘れたらしく家に帰って妹に話しをすると、「その時に戻ってサイフを取りに来れば良かったのに」と妹は叱ったそうです。後から妻に聞いた話ですが・・・。韓国の親族思いはここにも現れてます(今の日本は薄れていて淋しいですね)。バスは途中途中、停留所で待っている人を何人か乗せ仁川空港へ向かいました。バスは6時30分に出発して着いたのは8時頃でした。フライト便は行きと同じコリアエアーラインの10時30分です。

傘1本で大騒ぎ
搭乗手続きをする為にコリアエアーラインの窓口へ行くと大勢の人が並んでました。手続するまで20分位は待っていたかと思います。窓口で「この時間の日本行きは強風の為、フライトが延期するかも知れません」と聞かされ心配になっていましたが、結局時間通りのフライトでホッとしました。窓口係はまだ新人なのか、今回が初めてのケースだったらしく荷物を預ける時、南門市場で買った1本の傘の梱包の方法が分らず困ってました。「傘はゴルフバッグに入れて預けて下さい」と言いながらも、あちらこちらへ行き梱包の方法を訊ねてる様子でした。私はまさか傘1本でこんなに大騒ぎするとは想像も付かなかったので、思いもよらないトラブルに何故か可笑しくなりました。でも隣の窓口ではおばさんが傘を3本束ねガムテープでぐるりと巻いただけの梱包で簡単に預けてましたが・・・。搭乗手続が済むと、今度は税関手続きです。ここではポケットの持ち物を全部出してカゴに入れます。靴も脱いで渡されたスリッパに履き替え検知機ゲートを通り抜けます。私はブザーが鳴り横に呼ばれ看守が手に持った検知器で体の上から足先まで2〜3回振り下ろし調べます。私は検知機ゲート通る前から腕輪が検知されるのは分ってました。ただ面倒で外さないでいたのです。それを確認した後、もう一度検知機ゲートを通り抜けます。結構、検知機に引っ掛る人は多いです。

愛車スパシオとの最後のドライブで運転は長女
免税店で買った韓国の電子手帳
免税店へチョコパイを買いに行きました。チョコパイは妻が好物です。店を出ようとすると韓国の電子手帳が目に留まりました。以前から妻がハングル文字の電子手帳を欲しがっていましたので、日本語・中国語・英語の辞書と訳詞が出来て、画面もカラーで綺麗だったので気に入り買う事にしました。値段は29800円でした。SDカードを入れるとMP3の音楽が聞けます。店員が電子手帳を開き画面で広告デモのカラー動画を見せました。(あとで分りましたが付属のSDカードに保存されていた動画でした)。商品名は「ヌリアンX10」です。帰宅してHPを見ると31万9千ウォンの価格でしたので「マァ少しは得した」と思ってましたが、電話で韓国の姉の息子にこの話をすると「国内の店では25万ウォンでHPでは18万ウォンで有ります」との事でした。それを聞いて少しガッカリしました。安いと思っていた免税店が反対に高かったのです。飛行機に搭乗し、いよいよ帰国です。また退屈なフライトの時間です。機内食は相変わらずの美味しく有りませんでした。成田に到着したのは12時頃でした。それから一通りの順序事を済ませ玄関先に出たのは1時過ぎでした。「パーク500」パーキングへ到着知らせの電話をした後、送迎バスが停車する場所までカーゴを押して歩きました。バスを待っていると韓国人の大学生らしき30数名の団体が歩いてました。その後から3〜4名が荷物を一杯積んだカーゴをそれぞれ押して歩いていました。「彼らはどういう団体なんだろう」と少し興味を持ちました・・・。待ってる間に帰宅するお客の数も増えました。バスが停まり乗車しました。お客が座席に着くと運転手が確認をします。その時に一人のおばちゃんが「ニコニコパーキング」と「ニコニコ堂」を勘違いして少し揉めていましたが、そのうち気が付いたか「すみません降ります」と言って降りました。「ニコニコ堂」の送迎バスは真後ろに停まってましたが、おばちゃんがこれに気が付いていたかどうかは分りません・・・。でもなんとまぁややこしい名前だろう(ややこしや〜ややこしや〜)・・・。バスは自家用車が停めてある駐車場まで行きます。電子手帳「ヌリアンX10」アドレスhttp://hyunbin.quu.cc/article/?y=2007&m=07&d=12&a=0

EXILEオーデションで落ちた3名達が組んだグループ
お客を順々に自家用車の前まで進み停止します。私達が降りて、その後少し離れた所で夫婦らしき二人のお客が降りました。しかしまたここで揉めています。所々の聞き取りですがお客は何だか駐車場が違う所で降ろしたと言っています。それに対して管理人は書類に書いてある通りで間違ってないと説明してました。私が「あのおばさんは中国人だ」と言うと妻は「気性が強そうだから韓国人だよ」と言ってました。マァどちらでも良いけど、その後どうなったか知りません・・・。帰宅も上の娘の運転です。高速道路の入口が分からず少しあちらこちらと迷いました。カーナビが有るのに迷いました。初めてです・・・。途中、サービスエリアに入り軽い食事をとりました。妻と娘達は何を食べたか忘れました。私はここだけのハンバーグを食べました。食事してると「EXILE」(エグザエル:アーチストグループ)のメンバーオーデションの最終審査で落ちた3名達が組んだグループが入って来ました(グループ名は知りません。でも娘達は知っていました。人気もそこそこ有るようです)。娘達は興奮して携帯で写メを撮るか?デジカメで撮るか?と二人は騒いでました。私や妻が「写真を撮らせて下さいと言って来い」と言うと二人は「言えない」と言うので私が「聞いてあげようか」と言うと二人は「いいよ、いいよ」と断ってましたが、でも二人を見てるとソワソワしてました。結局、諦めて車へ戻る事にしました。下の娘が「あ〜写真を撮ればよかった〜」と残念がってた様なので、私が「後で後悔をして残念な思いをするのなら、駄目で元々だからお願いして見れば良かったんだよ、まだそんなに有名ではない芸能人は自分の事を知ってるファンが居る事が嬉しいのだから、絶対駄目だとは言わない筈だ」と答えましたが、上の娘は「ここで見たその思い出だけでいいよ」と言ってました。帰り路は行き路の町田から高速へ入り、渋谷・銀座線方面の首都高を通らず、湾岸線のお台場・米ブリッジを通り横浜方面に向かいました。保土ヶ谷バイパス降りると16号線を走り町田市、相模原市へと向かいます。我家に着いたのは5時頃でした。「あ〜疲れました」でも下の娘は夜8時30分頃に塾に行き帰宅は10時30分頃です。仕方がないです約束事だから・・・。と言う事で韓国旅行の長〜い長〜い話は終わりです。皆も読むのに疲れたと思うけど、私も随分この文章を書くのに疲れました・・・以上


韓国一週間より
2004年8月15日(日)〜21(土)
8月15日(日) 出発の日
ノーチェックだった荷物検査
出発は15日(日)の18:50分です。午後の時間なので余裕を持った。気持ちで自宅を出る事が出来ました。高速道路も思ったより込んでなく予定通りにパーキング場(PARK500)に着いてまずまずの出だしです。そこからは空港まで送迎してくれるので楽な気持ちでいられました。空港に着き搭乗手続きも早々に済まして搭乗する館内へ入りました。免税店でお酒を選んでる時に店員さんが来て「韓国はノーチェクなので何本でも大丈夫です」と教えてくれたが、どうも心配なので規定(一人1本まで)を守り、私と妻の分の2本買いました。韓国の荷物検査には人が居なくて教えられた通りのノーチェックでした。「これならもっと買えば良かった」空港内のロビーでは、軍人警備が目に付きます、到着ロビーで出迎えの約束をした妻の弟を待つ事にしました。フライト時間が遅れて時計を見ると9時30分を廻っていました。「捜しているのかな?」暫くして妻の弟と妹の夫とその娘2人(5歳と8歳)がこちらに近づいて来ました。久し振りの再会です。上の娘は小学2年なのに耳タブに穴を開けピアスをしてました。妻が聞いて見たところ「学校にピアスをして行っても大丈夫だ」と云っていたそうです。「韓国の学校も変わったもんだ」と妻が呟いていました。空港パーキングへ行きワゴン車へ乗り込み妹宅へ・・・
道路が広い
片手でハンドルを握っている手を見ると、どうもハンドルに取っ手が付いていて、その柄を握り運転をしていた(フォークリフトのハンドル見たいに、だから曲がる時の手の格好は昔の手動式氷カキの柄を持って回してる状態)、日本は違法なので許可を得ないとハンドルを改造できませんが韓国は自由です。高速道路は8車線なので悠々と道路が広く感じます。平均速度も100kmの表示で日本より速いです。国道では6車線が普通です。場所により8車線や10車線の道路も有ります。県道でも4車線が殆どです。とにかく車道は広く整備されています。大通りは整っていますが整備されてない町並み(下町かな)の裏通りはゴチャゴチャしていて道が狭く入ると迷路みたいです。ゴミも結構捨てて有り汚いです。信号機は日本の様に「赤・黄・青」の1機でなく韓国では「赤・黄・青」、「赤・黄・青」のダブル2機付いています。車線にUターンマークが描かれてあり、Uターン出来る車線が結構あります。赤信号でも右折(韓国では右側通行)は出来る。左折の矢印のある信号機では左折の矢印でないと青信号だからといっても左折は出来ない。この辺が日本と違うのでややっこしい・・・
カーチェス並の運転
交通機関の料金が安い、高速道路、バス、タクシー、地下鉄などが日本の1/3の料金です。タクシー、バスの運転手は殆どが愛想が悪い、タクシーで荷物が有ると不機嫌な顔をされるので、こんな時は「この位払うから」と払う金額を乗る前に言う事。普通でも「何処何処まで」と言っても返答がなく、「この、運ちゃん、分ってるのかな?」と思う事が多い程です。走るとお客が乗って様が知った事じゃないと思うほどのカーチェース並の運転の荒さで寸前でのブレーキ止めです。バスも叱りで以前よりは少々良いですが以前は客が乗るやいなや走行しながら自動ドアうを閉めたので、自分はよたよたとなって頭に来て「バカヤロー」と言いました。どうせ言葉が分らないだろうと思って。今回はそれは無かったけど、周りのバスではそれらしきバスを何台か見うけました。走れば競り合いのカーチェスは相変わらずでした。安全よりバス会社どうしの競争が先行してますので・・・ソウルは車が多過ぎるので、交通はお互い車どうしが当たるギリギリ寸前まで近づきます。お互いの譲り合い精神は以前より良くなりましたがまだまだ、「間に入れさせるもんか」の感じです。
地下鉄では
地下鉄では今回も物売りが車内に乗り込んで来て乾電池を「セットで1000ウォン」だと言って売ってました。前は扇子を1000ウォンで売っていました。結構売れるので、多分縄張りがあるかも・・・またいつかは軍人・・・かな(戦争で片足とか無くし歌や音楽やアコーデオンを弾いて通りすがりの人にお金を缶に入れてもらう人達の事)が乗り込んで来て、この人は目が余り見えないらしく歌いながら杖をついて缶を片手に持ち次の車内へ行きましたが本当に目が見えないのか怪しいものです?・・・誰もお金をあげていなかったです。こんな状況は日本ではまず見かけないと言うより違反で出来ないでしょう・・・東門市場でも何人か見かけましたが・・・実家の地下鉄の駅構内で女性2人がカタログを手に持ち駅名と見比べて「ここだよ、有ってる、有ってる」と2人が日本語で話をしてました。だからカタログさえ有れば誰でも旅行出来ます。こんな交通体験を色んな形でして見ては?
・・・
車庫がない
またコンビニも最近は多く有るので、日本と同じく話さず買った物をレジに置きレジの金額を見てお金を払えば良いので大丈夫です。・・・話は戻って・・・妹宅へ1時間掛かって着きました。家の道路近辺は不揃いに置かれた駐車してる車だらけ韓国は、車庫を殆どが持ってないので家の路上に車を止めます。それも早い者勝ちの開いてるスペースに止めます。また出られなくなった車は互いが自分の電話番号を車の窓に張って有るので、それを見て電話して車をどかして貰います。・・・この様に殆どの人が車庫がないので私達の車も開いてる場所を見つけギリギリの幅寄せ駐車をしました。・・・また韓国はクラクションを鳴らす回数も多いです。以前よりは少なくなりましたが、ソウルではまだまだ相変わらず多いです・・・韓国の人は気が短くB型が多いからかな?・・・2度経験ですが道路工事も人が通れる歩道が確保されてない事が多く、車道へ廻り通るので恐いです。車は信号が変わる前に走行したり、県道では赤でも横断者が居ないと止まらない車が多いです。(気を付けて下さい)信号機も信号が赤から黄色へ)変わるタイミングもどことなく日本と違うので戸惑います。
・・・
末の妹宅へ
時計を見ると11時過ぎです。「遅くなったな」と思いながらも、妹宅へ入ると三女は台湾から小学生の息子を二人を連れて、四女は高校生と中学生の息子とが待っていました。台湾の息子は今日が初対面だけど他の者は久し振りの再会です。この夜は軽い食事で済ませました。妹宅はアパート住まいです。(韓国のアパートは日本で言うとマンションです。韓国でマンションと言えば日本ではアパートです・・・住まいのグレードの付け方が日本と反対です)、部屋を見ると冷蔵庫の横にもう一つ箱型の冷蔵庫が有ったので聞くと家庭用のキムチ用冷蔵庫と言っていました。韓国ではどの家でも殆どがあるそうです。もう一つ、また変わった物が有りました(よくお店で見かける冷水とお湯が無料で飲める縦型ボックスの機械に似てました)、その上にかなり太った水が入ったペットボトル(1t入り)が逆さまになってボックスの中に頭を入れてる格好で置いてありました。妹が言うには「ミネラルウォータが入っていて、1ペットボトル1000円」だと言ってました。そこにはコップが2個置いてありました。便利だなと思いました。これは、どの家庭でも中々置いてないそうです・・・贅沢者

「冬のソナタ」人気は?
そうそう、「冬のソナタ」の事を言うのをすっかり忘れていた。女房が妹達に今、日本で人気があり、見てると言ったら、「そんなのとっくの2年前に終わったドラマで見た事もない」と姉妹一同から言われ馬鹿にされていました。韓国では人気は無くただの1つのメロドラマーにしかすぎなかった様です、と言うのは自分が思うには、あの様なドラマは韓国では沢山あるから、その一連の一メロドラマしか過ぎなく、たまたまNHKがこのドラマを取り上げ放映して日本で大人気が出ただけで、もしかしたら他のドラマでもそれはそれで人気が出たかも(こんな過激な事を言うとヨンチャンファンに怒られるかも????)・・・韓国ではヨンチャンもユージンチャンも少々人気有る程度の俳優にしかにすぎなく、韓国テレビでは話題にものらず彼ら達を韓国滞在中テレビで見た事は一度も無い、残念ですが、日本だけのフィーバーの様です。日本人をターゲットにしてるせいか、ソウルの街頭などに彼ら達のポスターは売って有ったが、誰かが買って行くと言う光景は目にした事が無い、また「何処何処で撮影した」と言った現場のツアーパンフレットも置いてあったけどね・・・ともかく妹達も「ヨンチャンて、誰?・・・・」と言う程度で、この話には全く関心無く、通り一遍で終わりました

8月16日(月) お墓参りへ
ダサかったレンタカー
17日(月)に
レンタカー借りて親戚4家族で墓参りに行きました。このレンタカーの料金が高い16人乗りですが一日15000円、何故高いかとかと言うと外観はいかにも古そうなクリーム色のワゴンタイプで仕事用に見えてダサかった。ディゼル車でエアコンは余り効かない、ギヤ式でクラッチが滑る、エンジンの音がうるさい、車内は清掃してないし、整備をしたと言う気配も感じられない、勿論カーナビ無し、フロントガラスの右側上にひびが入っていたので高速道路で割れないかと心配しました。その日だけでなく、次の日も借りる事になって一度返した車を又、再度次の日に借りて来たけれど、車内や外装は始め借りた時と同じくそのままで清掃がしてなかった。要するに車を貸すだけの事で、その他の事はそちらで勝手にしてくれ、ガソリンは使用した分、満タンにして返してくれというだけの感覚でしかなく、サービス精神が日本と比べ、ずれてる日本では考えにくいサービス営業です。妹達が交渉して13000円に料金を下げて貰いました。妹の家からは2時間掛かりました。墓地が山の所にあるので坂道を上がったり下がったりして行きます。馬力が無くエアコンを切っての上り坂走行でした。でもこの日は曇り空で涼しかったのが救いでした。途中で軽油の補給しましたが、ガソリンが日本より高い1リットルの相場がガソリンは150円、軽油では110円でした。
広々とした霊園
霊園はパーク的に整備されていました。ここで九州にいる烏より小さめな黒白の鳥「かちがらす」を見ました。娘達に鳥の説明をしました。初めて見たようすで「ヘェー」と感心してました。(前回は小さい時だったので忘れていたかも?)そう言えば韓国は大体80%位は「かちがらす」ではないかと思うほど「からす」を殆ど目にしません。妻の母は、ここ霊園の墓石が一杯で買えなく、遺骨は大きな山形状のドームの館内に保管されて有りました。骨壷は内部が見える透明ガラス扉のロッカーの様な中に納めてありました。それがマンションの様に並べ区切られ保管されていました。館内の入口には管理人が座っていました(私は今の時間は館内にあちらこちらと人が多くて良いけれど、夕方など一人になった時に恐くないのかな〜と思いました・・・自分は死んでもここの管理人になりたくないねと思いましたが死んだら出来るかも、同じお化けどうしだし、賑やかかな〜・・・苦笑い)。私達は母の骨壷の、その前に立ち一人ずつ手を合わせドーム館内から出ました。外に出て今度はゴザが敷いてある場所に行きました。家から用意して来た、お酒とチョトしたお菓子を置き、目上の者から順番に3人ずつ横並びして、韓国式謝礼をしました。これは一人がお酒をお酌してもらい線香の上で1廻しします。3人が一同に腰を下ろし手と頭をゴザまで下げては立って手を合わせる、これを2回づつ繰返し行います。墓参りが無事に終える頃、少し天気が曇って雨が降り出す気配になって来ました。お墓参りはココ
http://memorial-zone.or.kr/ceremony/tomb1.asp
38度線へ
サービスエリア

まだ時間が有ったので、板門ではないですが北朝鮮の近く38度線へ向かいました。38度線まではここから行くのとソウルから行くのとは同じ位の2時間位で行けます。途中サービスエリアに昼食をとる為に寄りました。この時は、もう雨が降っていました。サービスエリアは日本と同じ様な感じでした。駐車した目の前の建物の右側にトイレが有り、建物中央に入口が有り、その左右は色々な食べ物の小店が並んでいました。中央入口を入ると左右端までテーブルが並ぶ大食堂でした。入った正面中央にレジが有り、奥側は左右端までキッチンでした。レジ(前券)で注文します。券を持ってキッチンカウンターへ。ここはセルフサービスでした。因みに、私と妻は「ユッケクッパ」、二人の娘は「ジャジャン麺」を食べました。辛かったがうまかった。満腹になり車に乗り込む。
銃を構えた監視軍人
ま段々と38度線に近づくにつれ海岸通りの道路岸側には人が上がって来れない様にグルグル巻きした「いばらのらせん」がどこまでも長く続いて張って有りました。叉道路の海岸側には軍人の監視塔が所々に建って有って監視してました。着くと以前よりはもっと公園の様に整備してありました。石碑と戦車と戦闘機が展示されていました。また以前より軍人の姿が無く緊張感も全くありませんでした。この時は雨が強く降ったので、ゆっくりと見学は出来ませんでした。河の向こう岸は両国が立ち入り禁止区域の山林が見えます。ビデオカメラをそこへ向けると監視塔から銃を構えた監視の軍人がこちらを見てました。「変だな」と思い看板を読むと英語で書いてあり「NO・・・・・」の「O」の字が少し薄れて読めにくく、またその後のスペルが読めなかったので理解が出来なかったが、軍人の様子で「撮影は駄目だ」と悟って河側へビデオを向けるのをやめました。休憩施設の係員に聞くと「この日(月)は板門に行く船が出てない」と言われ残念でした。
懐かしい味「ほうじょう貝」
ここで娘達は日本からの中古かな日本語で書かれた古いバージョンの「プリクラ」を撮りましたが、「300円は高い、100円均一のプリクラがまだ写りも良い」と不満を洩らしていました。車の中で待っていると女房が「貝、食べる?」とビニール袋に入れた物をくれました。「何だろう?」と思い、見た瞬間に「ほうじょう」=ウミニナではないか。以前、家で妻が「私も食べてた」とは聞いてはいたが・・・ここで自分が食べられるとは百にも思わなかった。「どうした」と聞いたら「妹が買った」と言ってました。うしろを振り向くと妹達とその子供は手に袋を持ち食べていました。娘に「食べる?」と聞くと「何?・・・」と言って口に入れてました・・・が上の娘は好き嫌いが激しく駄目でした。下の娘は食べ方が分らずも「おいしいおいしい「と言ってしゃっぶっていました。自分が食べ方を教えてあげると「え、食べられるの?」と言って、食べ方が分った後はチュチュ吸って食べてました。貝の先の方はもう折れてあり穴が開いてました。韓国の子供達は何度か口にしたらしく何も聞かずに分っている様子で食べてました。その後、子供達は競争して食べてました。この時の食べた「ほうじょう」の貝殻を5〜6個を日本へ持って帰りました。どしゃ降り雨の中の行楽でした。
義務軍人さんは辛そう
38度線公園の見学の帰りの事ですが、ソウル市内へ近づくにつれ、勤務帰宅の時間とが重なった事もあり大混雑をして来ました。途中軍用トラック何台かと横並びになった状態で暫く走る事になりました。運転席の窓は開いてあり、うしろ荷台の上側にはホローが掛けて有ったが横とうしろ側は掛けてなく、軍人達は外側に背を向けてが両横側に腰を掛けていました。うしろから見ると中央列に腰を下ろした軍人がこちらを見てました。この日は時々、雨がどしゃ降りしたので、軍人さんの背中は勿論の事、上からズボンまでがずぶ濡れでした。私が「中央に腰を下ろして居る軍人は良いな」と言うと、軍人を終えた経験者の弟が「中央は新米です。中央は腰掛けがないのでキツイです」と言った。弟はトラックやダンプなどを運転をする係りだったので、何かと楽に軍人生活をしていた様です・・・雨の日も運転席の窓は荷台は上側にホローは掛けるだけ・・・「あっ、そうか、これも訓練だよな、戦争になれば雨も何も言ってられないからな・・・納得」軍用のトラックや車に乗った軍人さんを見かけても決して手を振ったりしたり、笑いかけない事、彼らは無言で無表情でいます。彼らに迷惑になります。終着地への帰り道も着くまでは全て訓練なので無言のままお互い話さないそうです。でも着いたあと着替えや銃器の手入れ、その他の身に着けている物、全てがずぶ濡れなので大変だなと思いました。2年間、無報酬軍人生活ご苦労さんです。彼らはお金を持っていないので、庶民からご苦労様という事もあってか大切に思われていて、休日などで歩いていると(軍人生活中は外出する時は必ず軍服着用が決められているのでデイトも軍服姿です)時折親切な人から小使い銭や、物を貰う事もあるそうです。人情味だね
待望の焼肉屋へ
大好きな「ケジャン」もお代わり自由
16日(月)38度線の帰宅後の夕飯は、四家族16名で自宅近くの焼肉屋へ行きました。ビルの二階に有り、入ると店は広々としてました。靴を脱いで上がります。右側にも何部屋かが有り私達はそちらの二部屋を空けてもらいテーブルにつきました。早々に店員さんが熾した炭火と網を持って来ました。続くかの様に素早く韓国ならではの太骨付カルビの登場をはじめ、ケジャン(渡り蟹のキムチ)、海鮮、野菜サラダ、水キムチ、チャンジャ、魚類・・・などなど、その後も続々とおかずを持って来てテーブルの上はアッと言うまのおかずの山です。私はケジャンが大好きなので焼酎(ラベルはチャムイスルでした)を飲み飲みケジャンを3回もお代わりしました。弟が言うには焼肉、飲み物以外の、ごはん、おかずなどは全てお代わり自由との事でした。日本ではとても考えられません。満腹になり食べ終える頃、子供達がアイスクリームを食べていたので聞くと、これもお代わり自由の無料サービスだとの事でした。私も食べましたが中々の味なので聞くと、名前のあるアイスクリームだとの事でした。////と、ここで我家の近くに雷が落ちたせいか一瞬停電して、パソコンの電源がおちて、ここまでの書き込みがパーになり、電源をつけ再び最初からの書き込みです。相模原はさっきから雷が鳴っていたがまさか堕ちるとは予想してはいなかったので、悔しかったです。ですから再び書き込みの時はメモ帳やワードに都度都度、保存保存の下書き作成しての投稿です。/////
カラオケで歌いまくる妹達
この後、このビル3階のカラオケ店に行きました。私達が入った部屋は大部屋で壁一面の大画面ルームです。ここで軽く一杯のビールと、つまみを頼んで気晴らし程度の1時間だけカラオケを歌いました。妻の兄弟姉妹はカラオケ好きな様で歌う歌う、踊りながら歌いまくっていました。日本のカラオケ歌も有りました。妹の子供達が騒いでいたせいか、私の娘達は不陰気にのれないらしく歌いませんでした。私は苦手なので遠慮してましたが、妹が日本の歌や韓国の歌をいれては私に歌う様に、マイクを持って来て手を引っ張るので致しかねなくデュエット曲を交えてで4〜5曲は歌いました。カラオケ屋を出ると外は雨が降ってきたので傘をさすとその傘が大きい。そう言えば何となく思っていたけど地方に行った時も歩いてる周りの人の傘が大きかった。韓国は大きい傘と3段の折りたたみ傘が多く、その他の傘を目にした事の意識がない。日本によく目にするビニール傘は店にも置いてなくて、さしている人を一人も見たことがない。私達は、その大きい傘をさして、個々に二人ずつ入り帰りました。さすが大きいから余裕で濡れない・・・因みにこの傘は500円だそうです・・・・安い

8月17日(火) 遊園地「エバーランド」
全てのマシンがパワーアップ
17日(火)に「エバーランド」と言う遊園地へ親戚4家族会わせて15名で二日目のレンタカーを借りて行きました。山を利用した施設なのでここへ行く途中、キジが車道を横断してました。駐車場は無料でした。入園は3000円のフリーパスを購入しました。入口すぐ入るとディズニーらしき建物が並んでいてなかなかでした。奥へ奥へと歩くと左右に絶叫マシーンが見えました。最初は右側へ行きました。ディスコの音楽がBGMで流れていた絶叫マシーンは日本では見かけない乗物です。メリーゴーランドの様に廻るタイプです。2人乗りのエアーカーの形をしている乗物が連なっていて、これが個々に不規則に回転をしながら、全体的ではメリーゴーランドの様に廻ります。しかしこの個々の回転と全体の廻るスピードが速い。乗っている者は三次元回転の世界の目の回り方、こちらも見てるだけで目が回りそうなので、自分はこう言うのは当時から苦手なのでこれはパスしました。娘二人は乗りましたが下の子は面白いと言ってましたが、上の娘は気持ち悪いと言ってました。パスして正解でした。サマーランドと似たのと同じのコンドルに乗りましたが、そのスピードと時間は半端じゃない・・・最初のマシーンもそう思いましたが、その後の全てのマシンも全体的にスピードが速いし、時間が長い、「これでもか・これでもか」と言うほどです、韓国人の気性に合ってる・・・

色んなアトラクション?
自分は始めにコンドルに乗りました。首がユラユラしない様にと首から肩に力を入れすぎた為に、左首肩がむち打ち状態となり今も痛くて湿布を貼ってます。こんな事は初めてです。それ程半端じゃないスピードと急カーブと落差が有ったのです。他にも日本にも有るマシーンを更にひねりを入れてのパワーアップしたバージョンの絶叫マシーンが沢山有りました。敷地はディズニーランド位は有余に有ります。上と下へ行く為のリフトが二箇所もあり、また歩く歩道も有ります。自然をいかした渓流下りのアトラクションは円盤型ボートに乗ります。岩にぶつかりクルクル回りながら下ります。中々スリルがあり面白く2度乗りました。またサァファリ公園の施設もありサァファリバスに乗って動物を見て廻ります。他に音楽に合わせの噴水のショーやウエスタンシティ町並みでは食事をしながらのJAZの生バンド、パレード、サーカス、パフォーマンスショーなど、とても満喫出来ました。夜景も綺麗で良かったです。夜は11時まで開園してると弟が言ってました。
これで本当に大丈夫?
また係りの人が腰や胸の辺りから両手や片手で(ぎんぎんぎらぎら夕陽が沈むの歌の時に行う手の振り付け)通る人に手を振るしぐさが愛嬌と愛想が良く見えて、これは日本でも真似した方が良いと思う程でした。ロッテワールドより大変気に入りました。でもここでも韓国の性質なのか「ケンチャナヨ」(大丈夫・・・いいよ・いいよ)この根底があるらしく、以前ロッテワールドに言った時、思ったけどここでもしかりでした。乗り物に乗る時は順番の早い人が席を選び後の人は開いてる席へ座る。つまり前から後へ順々良く席へ座るのではない。でも係員は乗り終わるまで見てるだけでした。絶叫マシーン(ツイストのジェットコースター)に乗った時、係員は安全バーをロックしたあとバーを一台一台手で確認せずに発車した。
韓国人の親切度
・・・
この時、私が一人で座っていたら若いスマートな綺麗なアガシ(結婚前の女性)が来て「ここ、開いてますか?」と言って隣の空いてる席へ座りました。自分は内心気分は良かったです。そして荷物を「そこへ置いて下さい」と自分に荷物を手渡した。「ネー、アラスムニダ」と言って置いて上げました。「コマスムニダ」と言って頭を下げお礼を言ってました。韓国ではこんな風景はごく当たり前の様です。話はそれますが以前、女房と買い物袋を持って家へ歩いていたら、女学生らしき人が後から「何々」と言って買い物袋をサッと持って途中まで歩いてくれました、同じ方向だとしても、この親切さは日本人も学ぶべき、また車内でお年寄りが席の前へ来ると若い者はサッと立って席を譲ってました。決して寝たふりしません。韓国人は自分の意志の疎通をはっきり話すと同時に、こんな親切も有ります。・・・以前より軽薄なったとは言えまだまだ目上の人に対する親切度は日本人より深いです。エバーランドはココhttp://www.seoultour.org/fr-yuenci.htm
8月18日(水) 病院へお見舞いに
韓国でのオリンピック放送
18日(水)この日は妻の姉、夫妻ともが軽い交通事故にあっていたので、ソウルから近い郊外の病院までお見舞いに行きました。私達と妹達の3家族は昨日、夕食を食べた後、夜10時頃にソウルの実家に末っ子妹の夫の運転で帰って来ました。末っ子妹の家からソウルの実家までは車で約1時間30分掛かります。3番目の妹は実家へ帰ったあと明日から仕事だとで1時間ほど腰を下ろしたあと帰宅しました。末っ子妹の夫もその後、30分程居ては帰りました。:::ご苦労様です。・・・実家はおふくろが亡くなったあと今は一番目の弟が一人で住んでいるので前と違って部屋は独身男の部屋になりつつありました。この夜は疲れが有ってもオリンピック最中なのでテレビを見てましたが全部が韓国サイトの放送内容でつまらない、当たり前ですが・・・メダルを取れそうだと意味も有っての放送なのか?競技の内容が違いました。それと日本との会戦が無い限りは日本の競技を見る事は有りませんでした。なので韓国で見るオリンピックはつまらなかったです。よく放映してた競技は射的やバトミントン、ハンドボールかな・・・金曜日のバレーボールは日本と韓国の試合だったので、喜んで見てると日本が負けて悔しい思いでした。妻の兄弟は黙ってましたが
日本番組専用チャンネル放送
・・・ケーブルテレビのチャンネルをひねると日本番組(再放送)専用チャンネルが1つあって、ここで「ワンピース」「クレヨンしんちゃん」他アニメのものや「キッズウォーク」もあったかな?韓国語吹き替え版でしたので、どんな声でどんな感じかな?と言った意味で何となく興味があり見てました。似た声質の声優さんを選んでいました。・・・キャラのイメージも有るからかな?ウォーターボーイ1は日本語そのままで韓国語の字幕スーパーでした。前置きが長くなりましたが、その翌日が今日の18日(水)で病院にお見舞いに行った日なのです。地下鉄で行きました。着いた地下鉄の売り場で韓国餅を買って病院へ行きました。病院は夫妻とも元気そうだったので、一安心しました。病院から外出許可を得て夫妻が経営する食堂へ出かけました。歩いて15分位かな?そこで買って来た餅で昼食をとりました。そしてこの夜にサウナへゴー(ここは良かった)
実家近辺のサウナへ
赤い温泉マーク
18日(水)に病院へお見舞いの帰り道で韓国海苔巻きを買って、今日の夕食は簡単な物ですませました。何日前から娘達が「サウナに行きたい」と言っていたので、夜9時頃に4番目妹の家族7人でサウナに出かけました。始めは妹が案内してくれたサウナへ15分程、歩いて行きました。入るとビル1階の入口の中に一人の管理のおじさんが居て、「ここは女性専用です」と言われ、諦めて外へ出て「他の処のサウナは?」と・・・暫くして「タクシーに頼もう」と言う事でタクシーで近辺のサウナまで行きました。5〜6分走った所で私達は降りました。少し歩いて行くとさっきよりは少し賑やかな町へ出ました。見えたビル屋上の上にデカデカト赤い温泉マークが(韓国のお風呂やサウナは日本では昔馴染みの赤い温泉マークが看板やネオンにロゴされています)ビル館内も綺麗でなかなか良い、階段で地下1階へ降りて行くと案内の窓口が有り、2人の女性スタッフが居ました。妻と妹が何やらスタッフと問答を繰り返してる様だったので聞くと、妹の息子は台湾人(この妹は結婚して台湾に住んでいます)なので、言葉が分らないので女湯に入れさせたい様だったが駄目だと断られたようでした。そうです妹の息子達は台湾人で私は日本語なので会話が通じないのです。簡単な単語の韓国語は分る様でしたが・・・でも仕方ない・・
キザに見えたフロント係
すると男湯からフロント係がこちらへ近づき、私に「ドゥユーノー・スピーク・イングリッシシュ?」と聞くので、「キザな野郎だなぁー頭に来るな」と思いながらも、勿論、こう答えました「ノースピーク・イングリッシシュ」腹の中で「それが文句有る・・・と思いつつ」(少々劣等感かも、こんな時、福岡さんは良いなぁーと尊敬とうらやましく思いました・・なんせECCの先生だから)男湯に案内され着替えの服を渡されました。彼は又もや英語でロッカーがどうのこうのとか、妻達と約束したロビーでの待ち合せの時間の23時30分で、その10分前に知らせるとか、なんだかんだと、私に説明してましたが、私達は湯に入る前にこの事は約束して有って分っていました。それに男湯の下駄箱で私が「ハングルマルゥ・チョゴン・ケンチャンスムニダ」と言った時「ネー」と言って笑っていたくせに、英語かよ、ロッカーで叉も「ハングルマルゥガ トゥ アラッソヨ」と話すと、また「ネー」と言って笑って立ち去った。
充実された施設に満足
湯室はサウナが3部屋と10メートルのプール(ジェット水流とシャワーがボタンで操作)、薬湯が4つと水風呂が1つでした。台湾人息子と3人で言葉が余り通じる事無くも、どうにかお互いが「ハジャンシルゥ」(トイレの事)と言っては指差して確認し用をすませたり、またその他も何となくの言葉と態度の不陰気でお互い意志の疎通をしてました。約束の時間に湯室を出て、着替え上の階のフロアー室まで行くと妻達が居ました。フロアーにもサウナがそれぞれ温度違いで4部屋有りました。ここは男女一緒なので服のままで入室します。1日4本立の無料映画室も有りました。入るとごろ寝している人、寝ている人などそれぞれが好きな格好で見てました。カラオケ室もあり1時間までが無料です。ゲーム室、垢すり室、マッサージ室、無料のスポーツジムも設けて有りました。寝室は3階に男性と女性が左右に分かれて有りました。2段ベッドになっていました。不思議だったのはベッドが空いているのにも関わらず、ベッドからシーツと枕を持って来て床に敷いて寝てる人が数名居ました。
何処でもゴロ寝する韓国人
そう言えば2階のフロアー部屋に行った時もそうだったけれど、どの階も全ての床がフローリング(下地のセメントの上に板を貼る)だった。多分韓国の冬は「オンドル」(床暖房)だからと思うけど、フローリング気持ちは良いからか?韓国人気質か?は分らないけれど空いてる場所があれば、階に関係なく裸足で居られるフロアーは全て、誰でも男女(恋人かな?)、家族、グループ等が関係なく横になったり、寝てたり、座ったりしていました。人通りの場所も壁近くや、真ん中で横になっていました。上の娘が末の妹宅やサウナのごろ寝姿を見て「韓国人は何処でも寝るね」と言ったので私も半分納得して爆笑した。真ん中にテレビが有りオリンピックを放送していました。柔道の決勝戦で井上と韓国人が試合をしてました。テレビの廻りの人だかりが奇声を上げて応援してましたが、井上が勝って「ア〜・アイグー」(アイグ・・・これは韓国の人のは「愛号がアイゴウ=アイグゥ」残念な時、悲しい時、怒る時、情けない時などに云う口癖です。頭に来て怒る時や、はらただしい時には、もっときつい言葉の「エーチャン」と歯を噛み縛って言います。)私は横目で追いながら「やった」と心で思いました。
トイレットペーパーは流せない
・・・話は前後するけど・・・そうだった、思い出した、そう言えば、親戚の家族達も夏でも冬でも子供達も平気でシーツだけ敷いてごろ寝の状態で寝ていました。冬は床暖房でそのまま寝てると徐々に背中が熱くなり寝れないほどです。だからそれを防ぐ程度の薄い敷き布団かシーツです。ふかふかの布団に入る習慣が日本より無い・・・よりは要らないかも・・・韓国は押入れが無いから布団は「布団たんす」(洋服入れの箪笥と形は同じ)にしまう。そのせいか布団が薄い・・・これが一般家庭の標準です。話の脱線のついでに、もう一つ・・・「韓国のトイレはトイレットペーパーは流せない」アテネもそうだったけど、台湾もそうです。意外と他国には有るかもよ・・・詰まるという理由なのか?よく分りませんが、トイレットペーパーは便器の前に置かれている家庭にあるようなゴミ入れに捨てます。ふたもついてなくそのまま紙が見えます。この為に韓国の人は辛い物を食べてるせいなのか、トイレがウンチ臭いと言うよりは、なんとなく辛っぽい臭いがするのですが?私だけかな?・・・私は抵抗があるので捨てずに、少しずつ少しずつ流しました。下の娘はサウナでトイレットペーパーを一度で流した為、詰まって水が便器から溢れてきて、女房が気が付いたけど、どうしようもなくその場を立ち去ったと言ってました。壁に「トイレットペーパー流さないように」と書いて有ったと言ってましたが(勿論ハングルでしょう)私は気が付きませんでした。気が付いても流すでしょうけど・・・でも空港は流しても良いです。この為、ゴミ入れもありません
これが本当のリラックス
・・・話は戻るけど・・・あちらこちらのフロアーで誰に気にする事無く、気兼ねなく横になれる、中には適当な場所で横になるつもりかベッドの枕を片手にあちらこちらと歩く人もいた。それなら、前回での「ベッドからシーツと枕を持って来て寝室の床に敷いて寝てる人が数名居ました」の話が納得出来る。私は、この様な決まりが有る様で無い様で有ると言った。この不陰気がとても気に入りました。これも1つの、韓国の人は細かい事は気にせず「大体で良いよ」と言った。「ケンチャナヨ・ケンチャナヨ」(大丈夫・大丈夫)気質の表れでしょうか?、日本の様に「これはこれ・それはそれ」で「この場所は寝ては駄目」と言った堅苦しい決まりが無く好き勝手に何処でも横になれる。こう言う施設は「気にしないで良いよ良いよ」が「心と体がホット休めてリラックス出来るのだな〜」と感じました。・・・ここは食堂もあり、食堂は朝は6時から開店して夜は12時に終ります。サウナは24時間営業です。私はとにかく気に入って「一晩居よう」と言う事で妻に話して泊まる事になり、料金を聞くと夜6時に入館して翌日の12時までは日本円で800円。「安いやす過ぎる〜・・・色々なサービスが有ってこの金額は」と思いました。但し石鹸とシャンプは持参します。でも洗いタオルとバスタオルはその都度の新しいタオルの使い放題です。湯室の壁に鍵が掛かっていた小さな下駄箱くらいのロッカが置いて有って、見ると石鹸などが入っていました、多分常連さんがキープしているのでしょう。皆も行ってみては?・・・
韓国のおばさんはキツイ
その次の朝、帰る前にパンフレットを貰おうとエレベーターに乗ると、後から乗って来たおばさんが上の階のボタンを押したらしく(あとで分かった事だけど)、私はボタンを押すのを忘れていて慌てて地下1階のボタンを押すと、そのおばさんは怒った顔と声で「エーチャン何何々・・・・・」と私を睨んで言っていました。その時は意味が解らなかったがおばさんが降りた時に階数を見ると「3F」となっていたので、なるほどと先程のおばさんのぶつぶつ言っていた意味が何となく理解できましたが要するに上りのエレベータのボタンを「B1}と私が押した事の抗議だった・・・それにしてもこれが日本での出来事なら、私が間違って階のボタンを押しても多分この人は勘違いしてボタンを押したのだろうと思い「違いますよ」という答え方程度ではないかと苦笑した。日本でもしも、こんなおばさんがいたら喧嘩になっていたかも・・・

8月19(木) 南門市場へ
韓国のマクドナルド
19(木)妹家族と弟と私の家族8名で南門市場へ市営バスで行きました。料金は家からは60円で混雑してなければ15分位の距離です。途中バスからはソウルタワーが近くに見えます。観光地と有って人人人の人だかりです。歩いていると当たり前ですが日本人観光客に何度も出く会わせしました。子供達の容貌で「マクドナルド」に入り妻が注文しましたが通じませんでした・・・「なーんでか・なーんでか、それはね」(物真似の人の堺進さん風に)、メニューの呼び名が違っていたからです。例えば、ポテトフライは韓国では日本に置き換えると「じゃがいもの揚げ物」これを韓国語で言うのです。こんな風にアメリカ式メニューがそのまま付けられていなかったのです。ポテトフライの量も日本の様に溢れる程入ってなく、はみ出ない感じでスパーと切った様に入っていました。韓国の食堂で食べる時、多いと思うほどおかず等が沢山出るのに、ましてや日本さえポテトフライは山盛りなのに・・・何でだろうと思いました。そう言えばロッテワールドでも日本式ラーメン店にはおかずが1皿しかついて来なかった。「食文化の国、韓国の人は良く平気だな」と思いましたが、私が思うには世代の交代で昔の人と違って現代的な考え方なのかな?文化の変化と同様に食文化も代わり、若い人の考え方も変化したんでは・・・現にキムチを作る家庭も少なくなっていますし、行列もつくるし、待ち時間も長く待ちます。これは、以前の韓国人では考えられません。今の若者と少し前の世代の妻や姉妹とを見比べると分ります。

韓国人は気が短い
・・・私達はバック専門店通りに行き上の娘は「ルイビトン」の財布を買いました。2500円です。勿論偽物です。娘は友達にはもう、偽物だとばらしたようです。どの店も店先にはLWのロゴマークですが、買う時に店内に呼ばれ内緒でLVの偽物を差し出されました。でも中の造りが一部違ってました。多分これも法を逃れる為に全く同じでない造りをしたのでしょう・・・娘は満足でした。どうせサイフ中身はいつも1000円位しか入っていないから・・・私はバンド演奏の時に緊張する癖があるのでステージだけに使用する目的の1000円のサングラスを買いました。でも日本ではこのデザインでこの値段は買えません。ウーン貧乏ながらも満足・・・バック売り場でおばさんが大きな声でおじさんに怒鳴る様に話してました。「喧嘩かな」と思っているとそうでなく、ただ話をしているだけでした。韓国の女性は男性に劣らず気が強く荒い(多分B型が多い国のせいかも???)こんな情景は何度も見かけました。妹の家でも朝早くから大きな声で喧嘩してるかのように怒鳴り声が聞こえ、尋ねると話をしてるだけとの事で妹達は平然顔でした。妻の家族の会話を聞いてるとアクセントが強いせいか時々喧嘩をしているように聞こえる時も有るけど、この時は怒鳴り声に聞こえたので本当にそう思った。皆も韓国に行って、こんな情景に遭遇して「ビックリ」するかも?・・・市場の街頭は観光客で賑やかでしたがトイレを借りる為、ビルの中に入るとビルの店内はさほどでもなく、2階はガラガラでした。ぎっしりと店が詰まって並んで有るので火事になったら「アッ」と言うまだな〜と心配しました。人ごみの中に2時間ほどいて南門市場を離れ、また市営バスで帰宅しました。

夕食は韓国風「ジャガイモ鍋」
食堂は腹一杯食べれる
19(木)西門市場から帰宅途中で夕食をして帰る事となり、今、韓国で話題の「じゃがいもの鍋」を食べる事にしました。「じゃがいもの鍋」と言っても、日本式に醤油の味付けでは有りません。以前、日本のテレビでも紹介して日本でも話題になってます。牛の太骨付きの肉の棒が鍋に5〜6本入っていて、メインのじゃがいも、白菜、しその葉、あと何だったか?忘れたけど?ともかくごちゃごちゃとボリュームたっぷりにバラエティに入ってました。2つコンロを使いそれぞれ別れて食べました。味噌味でコッテリしていて上手い、安い焼酎に(銘柄はチンロ)またこれが合う、そうこうして食べてるとジャガイモが無くなったので、追加すると、店主がこちらの鍋だけでは無く、あちらの鍋にも入れたので「このオッサン(言葉が悪い、御免)余計な事するな」と腹の中で思っていると、さっしたのか弟が「いくら追加してもただ」と言ったので、そのあと「余計な事するじゃなく、この店主は気が利くな」と思い改めました。心の中で・・・隣を見るとラーメンを食べていたので私も食べたくなり、「そうだ麺だけを頼んで鍋に入れて食べよう、スープの味もコッテリの味噌ラーメンの味に似ているから」、そう思い「ラーメン」と頼むと妻が「そうだよラーメンを入れると上手いんだよ」と言いました。韓国の食堂で出るラーメンは全てがインスタントラーメンに野菜とかキムチとか色々アレンジした物で日本の様に生麺は有りません・・・麺を入れ食べると、やはり思った通り上手かった。

商店街を覘いて見ては?
代金は弟が支払いました・・・妻が言うにはこの店の看板は弟が取り付けたそうです。この弟は看板職人なのですが、看板を取り付けた店には必ず1度は食べに行くそうです。この店は家の近くも有って何度か食べに来たそうです。それと、多分この店の娘も働いて居たので気が合っているのか?どうかは分らないけれど?自分の良い所を見せようとして、さっとサイフを出してレジに向かったのでは・・・あくまで推測ですが・・・それにしてもこの近所は小・中・高・大学校が並んであるせいなのか学生が多く、それと同様に、食堂も多い、だから学食も多く本当に安い。話は飛ぶけれどファミリーマートも有ったので入ると韓国しかない商品が陳列してあった。この様に、ただ観光地だけを見て廻るのではなく、庶民生活のスーパーマーケットなど覘いて買ったりする経験もした方が面白いかもよ。。。。次の日の朝、ビデオをラビングする為に電気屋に入り(韓国は大型電気店「ヤマダ電機の様な」が無い)ビデオーテープを買ったら日本製(ラベルが日本語)のテープだった。メーカ品だったかど、店にはその1種類しかなく1本300円で買ったがこれが安いか高いか良く分らない?日本ではメーカ品で3本セットでも500円で買っていたから・・・

8月20日(金) 遊園地「ロッテワールド」
兄弟学校「チャンシル高校」へ
20日(金)にはロッテワールドへ行きました。ソウルの自宅から地下鉄で8つ目の駅です。改札口を出るとロッテデパート内ですがロッテホテル、ロッテワールドと3つの施設は繋がっています。ロッテワールドへ行く前に「チャンシル高校」へ用事があったのでタクシーでそこまで行きました。チャンシル高校と上の娘が通う橋本高校とは兄弟学校で友好があるので見学に寄りました。学校の側に大きな河(漢河かも?)が有り、次の駅がロッテワールド駅だとすると、以前、地下鉄(途中駅から外に出ます)でロッテワールドヘ行ってた時、最後に大きな河を渡るのですが、それがチャンシル地域かも?・・・学校は夏休みで部活の生徒が運動場と体育館で練習をしていました。校庭には先生らしき人は見当たらず校内の補修をしていた業者は数名いましが・・・ここで写真とビデオを撮りチャンシル駅へ向かいました。
ここからロッテワールドまでは歩いて20分程の距離です。自宅からタクシーの運ちゃんも愛想が悪かったけど、チャンシル駅から乗ったタクシーも輪をかけて愛想が悪かった。基本料金内の距離だからか分りませんが?、2家族だったので2台で走らせましたが私の家族が乗ったタクシーと妹の乗ったタクシーとが別々のロッテワールド入口で停まり、妹家族を捜すのに手間取った。これなら歩いた方が早かったかも・・・「余りにも運ちゃんが愛想が悪いのでお釣をキッチリ貰った」と妻が言ってました。愛想が悪いのは何に付け損するよ・・・
多過ぎた人の数
やっと妹達を探して入場券売り場へ、これがまた込んでた。入場券売り場はデパート内に有るので環境は良いけど、しかし今までこんなに込んだ時に遭遇した事がないので嫌な予感がして来た。30分も並んだすえ購入し園内へ、予感が的中・・・人人人人・・・「アーこれじゃ乗り物に乗るのも難しいなぁ」案の条、待ち時間は最低で20分(つまらない幼児用)人気あるものは最高で2時間・・・自分達は待っても最高30分が我慢出来る待ち時間だから、その中でアトラクションを探さなければならない・・・でも「シンドバット」を始め5〜6箇所は楽しめたかな〜。アトラクションはキャラが違うだけでディズニーランドとほとんど変わりません。ここは夜11時まで開園してるそうですが、次の日の帰り仕度をしなければいけないので6時頃に出る事にしました。帰り仕度もあるけど園内に居る間にも人がワンサカ・ワンサカ増えて来て人ごみでの中で頭が痛くなりそうなのでも理由の一つです。娘二人は閉園まで居たくて未練がましそうでした。(いつも閉園まで居るので・・・)だから「来年も韓国へ来てロッテワールドへ行く」と言ってました。本当に入場制限をしてないのかと思うほど人が増え続けました。ずっーと雨の日が続いていたのが、この日に晴れた事と、色んな団体と重なったのが原因です。そしてその中の幼稚園らしき団体も日本と違うのか6時頃になってもいっこうに帰らない。
感動したロックバンドのキーボード
韓国テレビ局らしきグループがこちらに来て、近くに居た園児達やお客にキャスターがインタビュしてました。そのあともあちらこちらを撮っていました。・・・最後に乗ったディズニーランドのスペースマウテンに似た乗物は面白かった。1機に2人乗りで2機1組で出発します。カーブを曲がる都度、遠心力で椅子も回転しますが目が回るほどではなかった。結構得意なジェトコースター的だったので叉乗りたかった。私と妻は3時頃には乗るのを諦めて、園内の生バンドのショーを見ていました。何組か出演した中でソウル的なロックバンドは良かった。メインボーカルの彼女のギターは飾り程度で歌も今一だったけど、キーボードの彼は「トキオ」のドラムの松岡に似ていてキーボード演奏はそれなりだったが歌が上手い「ビーナス」もサックスが入っているのでソウルロック的アレンジで歌も声も英語の発音も良かった。(もともと韓国人は英語の発音は良い、・・・これには自分達にエピーソードがあり、以前何かの話の中で「OK」と言ったら妻の妹が笑ったので「どうして?」と聞くと「オッケィ」ではなく「オッケッ」???・・・どういう風に説明したら良いか分らないが、ともかく妹の方が発音が良く、つい負け惜しみに「アクセントがアメリカ見たいジャン」と言って笑った程です。)ベースマンもチョッパでソロを弾いて、叉サングラスがダーティで格好良かった。ドラムも上手い。全体的にかなりまとまっていて、「さすがプロだな〜」という感じだった。

アトラクション待ちで
そうそう、ここでも韓国人特有な性格が見られた。アトラクションなどで見知らぬ人が席や椅子に座って居ようが隣が空いてると、そこへ平然として腰掛けるのは常識で何度も見慣れています。係員も「お客さんは勝手に好きな所へ腰掛けて下さい」と言ったニァンスで順序良くなどの案内は余りしない。ここまでは分っていたがロッテワールドのスタッフ達のこの馬鹿さは知らなかった。と言うのは、アトラクションの待ち時間中に子供が急に気分が悪くなったのか、いきなり吐いた。「キャー」と悲鳴と共に吐いたそこから皆が避けた。どんな関係のおばさんか知らないが、その子供を抱きかかえて連れて行きました。その後は皆、吐いた所を避けての待ち並びになりました。暫くして見た感じ神経悪そうで、どちらかと言えばブスな若い女性スタッフのが新聞紙とトイレットペーパーを持って来た。(日本ならトイレットペーパーと言うよりテッシュだが韓国では家庭でも殆どがトイレットペーパーを部屋でもテッシュ代わりにしていて、テッシュを使うと言う習慣が余り無いらしい・・・)それを見て自分は「普通ならモップとバケツを持って2人で来る事だろう」と思ったが、その彼女は吐いたものを見て顔が曇り、そのまま離れた。

気が利かないスタッフ
男性スタッフと現れ、なにやら話をしていたが、その顔色から見て嫌がっているのは明らかであった。そのうちに男女スタッフとも何処かへ行って見えなくなりましたが、暫くして、三度また彼女が現れた。この時も新聞紙とトイレットペーパー・・・「何考えて居るんだ。この間にもお客は不愉快なおもいで待ち時間を過ごさなければいけない、日本ではありえない事、ましてやディズニーランドでは、こう言うスタッフは即、首だよ、サッサッカ・サッサッカ清掃してくれよ」と思った。彼女が来る間にもお客が吐いた物の上からパンフレットをかぶせていた。彼女は嫌な顔むき出しに顔をしかめ、しぶしぶとしゃがんでた・・・その後は自分達は前へ詰めて行ったので見えなくなったが・・・大体は彼女の顔からして想像がつきます。多分、彼女は顔に嫌さモロ出し、して作業してる光景が目に浮かびます。物事をはっきり言うのは良い事だが、それとこれは違うのでは、嫌な顔をすればお客が不愉快な思いになるし、これも仕事ではないのか?嫌なら辞めれば良い、勤めなければ良かった。・・・それにしてもスタッフもスタッフ達である、どうしてその後2人で来なかったんだろうと疑問を感じた。もう1つは清掃する専門も居てモップを持ってウロウロ歩いているのを何度も見てたのに、それが来ないで、如何して彼女に(オットケハムニカ?)????・・・
韓国民俗展は見もの
ともかくサービスの意識感がここにも日本とのズレを感じる。まだまだこれではサービス業では日本に追い越せないね・・・ロッテワールドへ来たのは今回で4回目だけれど、室内室外とも大混雑で、またあのスタッフの態度、こんな不愉快な思いをしたのは今回が初めてで有り、ウンザリしました。でも見そこないや乗りそこないもあったので、娘に誘われ、リベンジを兼ねてまた行くかもね・・・そうそう文句ばかりでなくここの見所を宣伝します。館内中央1階には大きな円形状のアイスリングが1年中営業してるので夏でも滑れます。それとデパート内に韓国民族展を観覧できます。入場券は別ですがロツテワールド入場券の半券があれば無料で見られます。ここは必見です。民族村にある展覧ものがここに集約されていて中々民族歴史の勉強になります。また体験コーナーやお土産品も有ります。是非観覧した方が良いです。デパート内だからお帰りにはデパート売り場で買って帰って下さい・・・ゴマすり・・・ロッテーワールドはココhttp://www.konest.com/spot/themepark/no151.htm
韓国版100円ショップ1  20日(金)
二人の娘と共に買物へ
この夜は二人の娘と私は近辺の商店街へ買物に出かけました。私はCDショップで「韓国歌謡ディスコ」と言うCDを買いました。因みに1000円でした。BOAの韓国版(韓国語吹替え)のCDが有ったのでBOAが好きな娘達に「買うか?」と聞いたら「持っているからいらない」(日本語版)と言ったので私のだけ買って店を出ました。ファンシーショップに入ると大学が目の前にあるせいか、女学生が多い、この店で上の娘は自分で買った為、何を買ったか分らないが、下の娘は友達に上げる手帳を買いました。「ここはイヤリングが高いので他の店に行きたい」と上の娘が言ったので外に出ました。外には出店が有り、そこにイヤリングが置いて有ったので「オルマエヨ」(いくら)と尋ねると「マーニャン」(1000円)と言うので、これも高いと思い買うのを諦めていると上の娘が「1000ウォンショップに行きたい」と言い出した。
イヤリングを買いに100円ショップへ
前日、ここに入った時、日本では4〜500円位はするだろうなのイヤリングが置いてあつたのを思い出したらしく突然言い出しました。仕方がない少し遠いが「行くか」と私達は歩きました。途中、女高校生すれ違ったあと、、上の娘(高校1年生)が「韓国の高校生はスカートが皆同じに長くて髪も黒いね」と言っていました。「末の妹の小学2年の娘は耳にイヤリングをしてたけど・・・国が変わると規則も違うのかな・・・」ファンシーショップから15分ほど歩き着きました。この店は相変わらず音が煩かったです。大きいスピーカーを通りに置いて音が割れるほどボリュウム上げての音楽と呼び込みを入れたテープを流していました。上の娘は満足そうに早々に買ってレジへ向かっていました。下の娘は「何にしょうかな?」と言って中々決まらずにいました。「白い爪マニキュア」を買う事に決まりました。下の娘も上の娘と同様で今風のおしゃれです・・・親二人ともおしゃれで無いのに、誰に似たか検討つきません????・・・この店を出てそのまま来た道から帰らずに、冒険心で違う道を帰った為に途中、道に迷いましたが、ビルの間に家の近辺の病院名前がネオンで見えたので、それを目的にして帰りました、。結局30分オーバーして家にたどる事が出来ました。 
8月21日(土) 日本へ帰国の日
最後まで愛想が悪かったタクシー

長らく、お待たせしました。韓国編の最終回です・・・「ホットした」てか・・・・それなら、「タシハンブン」(もう一度)レピートしようかな?冗談はこの位にして。21日(土)日本へ帰国する日です。朝、6時に起きてバタバタしながらも7時過ぎ頃には家を出ました。大通りまで約2分歩きそこでタクシーを呼び止めました。運ちゃんは荷物を見て不機嫌そうだったけど、無視して荷物を乗せてると、「早くして」と云わんばかりの態度でした。妹と弟の2人に見送られ、仁川空港行き高速バス発車場(15分)まで行きました。タクシーの最初の基本メーターは60円からスタートします(安い)、この時のタクシー料金は300円だったのですが、荷物が有ったので500円支払いました(愛想が悪かったので本当は300円だけにしたかったけど・・・)だから前の文章に書いた様に、荷物が有るときは幾ら幾ら払うからと先に料金を話した方が、運ちゃんの機嫌が良い。日本では余り有り得ないけど・・・バスに荷物を乗せていると四女の妹が「お土産品を忘れてたよ」とこちらへ来ます。聞くと私達が出た後、家に戻ると1つ袋が有ったのに気が付き急いでタクシーに乗って追いかけて来たとの事でした。それから空港に着いたら電話してと1000円分のテレホンカードを妻に渡していました・・・本当にこの妹は気が利きます。・・・以前日本に留学していた頃、我家でお世話になった事が有ります。・・・ここでもう一度、妹に見送られてバスへ乗り込みました。バスは途中高速道路に入る前にソウル市内で高速バス専用のバス停に停まり、空港へ行くお客さんを乗せて行きました。高速道路に入る最終のバス停では公安局風の職員が乗り込み、一人一人のパスポートと人数を確認してはバスを降りました。バスは高速道路に入りノンストップの1時間30分掛かって空港へ着きました。
せわしかった搭乗手続き
行きもそうでしたが帰りも空港に着いたのが余裕の時間でした。中央にある大きな電光案内板を見るとフライト予定時間・搭乗手続き時間・ノースウェスト(航空会社)の名前が出てない?「時間が早過ぎたせいかな」と待っていましたが、未だに掲示されないので待ちきれず係りの者に尋ねると「その便はこちら側です」と案内された。見ると搭乗手続きの案内窓口の電光案内板には「8便 成田行き」と掲示してありました。「なんだ、なんで玄関フロントの電光案内板には出てないんだ?」もうすでに同航空便に乗る人の列、順番が来て手続き済ませると、窓口の係員が「税関が込んでいますから、11時20分までには行って下さい」とせかします。ここまで1時間のロスタイム。話はすこし戻って・・・随分前に並んで、本当ならすでに搭乗手続き終わっていなければならない筈の女性グループ、日本人らしき5名と外人1名の人達はお互いの旅行バッグをこの場所で全部ひっくり返して何かを(多分航空券だろうな)探していましたが様子から見ると、どうも出て来なかった様子でした・・・どうしたかな?・・・見ていて同情しました・・・検査口を通る時はテロ対策もあってか、靴まで脱ぎケースに入れ用意されたスリッパに履き替え通ります。靴までが赤外線チェックでした。そのあと税関手続きで待っているとパキスタン系の人が2名の係員に補導されて右側にある部屋へ入って行きました。手続きを終え搭乗口室へ、ここまで来ると一安心、後は空港でお土産品を買って搭乗するだけ・・・お土産品も買って、いざ搭乗口へと・・・
搭乗口が開いてない
「あれ、おかしい、人の列は有るが搭乗口が開いてなく人も進んでいない」暫くして係員が「整備の為に30分遅れます」、仕方がない、またお土産店へ、余計な物を買い、叉搭乗口へ、またして搭乗口へが開いてなく人も進んでいない。暫くソファで待っていると「あれ、何となく、搭乗口の周りに人だかりが少ない、何処へ行ったんだ?まさか離れているソファに居たのでその間に終わった?ええ、」と思いの不安で、急いで搭乗口へ行き、係員に「成田 8便だけど」と云いながらチケットを見せて話す。ハングル語で「何々何々」意味が分からない、妻を呼んで「聞いて見て」妻が言う係員の話だと「まだ、整備中です。2時には搭乗できます。この間、昼食をして下さい。この券でどの食堂も1300円分食べられます」と航空会社の食券を4人分貰ってやって来ました。「今の時間は12時40分だから昼食とって丁度良い時間か」と、これを持って食堂へ、人気のある食堂は満杯でした。見るとレジへ(前券)並んで居る人の殆どの手には同じ航空会社の食券を持ってました。「情報が早い奴らだ」・・・嘘です思ってません・・・ここでA型の細かい金銭感覚「1300円以下を注文したらお釣は貰えるのかな?」妻に聞いて貰うと「それは出来ない」・・・「あっそう、それなら」と4人分合わせての100円程度の足がでる計算で注文しました。・・・O型には理解できないかも???・・・因みに私と妻はキムチチャーハンで上の娘はビビンパで下の娘は冷麺です。食事も終え搭乗口へ「あれ、同便へ乗る人が居ない、何度か見たあの太った外人さんの顔も見当たらない」それにここの搭乗口の案内板が北京行きに変わってました。列の顔も外人さんが殆ど居ない、どの顔見ても中国系の顔顔が多い。もうすぐ約束の2時になる。あせって係員に尋ねると「その便の搭乗口は46番に変更」だとの事、急いで行きました。

スチワーデス?それとも店員さん?
46番はここより1階下に有りました。階段を降りると居ました。見慣れた太った外人さんの顔、ここ一画は1つのルームになっていました。でも搭乗口に人の進む気配が無い。係員に尋ねると今度は「3時頃の予定」との事・・・ウンザリ・・・乗り継ぎのある人、予定、計画のある人達でしょう。それぞれが携帯や電話で連絡してました。全てがパーです・・・責任者を呼べと言いたくなります。・・・周りを見ると「そんなに居たかなスチーワーデスの人?」多すぎる良く見ると、ユニホームも違う、もしかしてスチーワーデスの溜まり場。それなら嬉しい。ソファーに腰掛て居眠りしたり、おしゃべりしたり、ふざけていたり、お菓子を食べたり、見た感じブランド物でない様な化粧品を出して、それの事でおしゃべりしたり、中にはオリンピックのテレビを見てはサッカーの韓国戦(相手国は忘れたけど)でした。興奮して両手や片手を上げては「イエー」のポーズで立ち上がり奇声を上げて声援していました。飛行機から降りたら幾ら普通の人だと云っても、お客が廻りに居るのに?・・・本当にスチーワーデス?・・・普通の人しすぎる・・・「待てよ、スチーワーデスかな?もしかしたらお土産店の店員かも・・・それなら普通の人でありえる・・・あくまでも推測」このあとも3時が3時30分に変更、本当にただの整備?今度は飛行機に対して不安100%に、途中で事故にならないだろうな?さっきのパキスタン系補導も有って、靴脱いでの検査、整備中も伸び伸びでフライト時間の検討がつかない状態・・・気持ちがあせりました。

やっぱり我家が一番
結局は11時50分が4時30分のフライトとなりました。搭乗口から離着場へ降りてバスへ乗り(行きも帰りもバスでした)搭乗する飛行機まで10分程走りました・・・不安を抱きつつ乗り込みました、「寒い機内は寒すぎる」(行きも寒いし帰りも寒い)掛けシーツを肩から掛けての旅です。各自の席に取り付けられているパソコンテレビで韓国へ来る時に途中まで見ていた。「シュレック2」の後編を見ての日本までの空の旅です。妻は操作が分らず隣席の下の娘に聞き面倒がられ私に聞き面倒がられ諦めて寝てました。食事は行き帰りも美味しくなかった。「あっ居ました。機内食を運ぶスチーワーデスの顔は先ほど待合室で見たスチーワーデスと同じ顔」(じゃ、やはりスチーワーデスの人達?・・・多分スチーワーデスの待ち時間や待機のルームでもあり、店員さんの休憩の場所でも有ると勝手に判断しました・・・何故ならお土産店の店員さんもスチーワーデスもユニホームが似た様なので良く分らない?・・・成田に着いたのが7時20分です。なんだかんだで空港の外に出たのが8時頃、パーキングの送迎マイクロバスに乗り込みパーキングに着いたのが8時20分です。皆の車のフロントにはジャガイモを乗せてありました。嬉しいサービスでした。ジャガイモを友に一路、家路へ・・・自宅には夜の10時頃でした。ここで皆と同一致のセリフ「あーやっぱり我家が一番」と云う・・・韓国旅行編終了・・疲れた。久し振りの長編でした。ご迷惑掛けました。以上